横浜市青葉区に、人と人をつなぐ坂本龍馬のような人がいる。
奥山誠さん(52)は、青葉区で栽培された小麦を使ったクラフトビール「Angel With Blue Wings」の発案者である。2020年の10月にオンラインで販売した2000本は即完売。ファンから「量産してほしい」の声があがった。
しかし奥山さんは、農業の人でも、ビール職人でもない。30年以上、地域の人に親しまれ続けているパン屋である。なぜ、奥山さんはビールをつくることになったのか。町を愛するひとりの男性の半生を聞いた。
落ちこぼれ高校生、パン屋になる
田園都市線、青葉台駅から歩いて10分ほどのところに、山小屋のようなパン屋がある。「ベーカリーカフェ コペ」だ。淡いグリーンのペンキで塗られた壁。その上に描かれたにっこり笑った太陽とパンを運ぶ汽車。駅周辺は都会なのに、このお店だけ森の中にあるみたいだ。
取材の約束をしたこの日、私はこちらのパンを食べたくて、待ち合わせの時間より少し早く着いた。中に入ると、まさしく山小屋を彷彿とさせる内装で、棚には可愛らしいパンたちが並んでいる。
「あ、こんにちは! もうすぐ準備できるんで、イートインで食べててください」
厨房から、店長の奥山誠さんが笑顔で声をかけてくれた。
2代目としてこの店を引き継いだ奥山さんは、松坂屋が主催する「カレーパンコンテスト」の2部門で金賞を受賞する快挙を遂げる。その活躍を評価され、青葉区から信頼できるお店の証である「青葉ブランド」に認定された。
今でこそ成功者に見える奥山さんだが、「子どもの頃は、どうしようもない落ちこぼれだったんです」と笑う。
1964年に横浜市緑区で生まれた奥山さんは、勉強が大の苦手な少年だった。かといって、わんぱく坊主だったわけではない。同級生らが楽しそうにはしゃぐ姿を横目に、指をくわえて見ているような子どもだった。
ただひとつ、好きなことがあった。
「ものづくりを見ているのが好きでした。学校の帰り道、大工さんが家を建てているところをじっと見つめていて、落ちている木の破片を拾っては、宝物のように大切にしていましたね」
ものが出来上がっていく過程にワクワクし、それを生み出す人に憧れた少年時代。転機が訪れたのは、16歳のときだった。
高校の担任教師との進路相談で「将来はどうしたいのか?」と聞かれ、奥山さんは「とりあえず、大学に行こうかと思います」と答えた。
すると、「お前の頭じゃ、大学は無理だぞ!」と先生から頭ごなしに言われてしまったのだ。
そんな言い方をされたら怒ってもいいはずだが、奥山さんは、「そりゃそうだよな」と素直に納得したそうだ。「将来、どうしようかなぁ」と途方にくれていた奥山さん。悩みながらパンを食べていた。奥山さんのお姉さんが仕事帰りに買ってきてくれた、フランスパンである。
「あぁ、パンっておいしいなぁ」
ふと、手元のパンをじっと見つめる。
「……あ、パン屋になろう!」
それが奥山さんにとっての、人生で最初の決断だった。
実は、そのフランスパンを作ったお店こそ、15年の修行を経て引き継ぐことになるベイクハウス・コペだったのだ。当時はパン屋のチェーン店などなく、個人店も数える程しかなかった。お姉さんにお店の場所を聞いて、翌日には足は運び「アルバイトさせてください!」と弟子入り。高校3年間は毎週日曜日、始発電車で職場に向かい働いた。
「先代は、パンづくりの技術をイチから教えてくれました。初めての仕事は、鍋の中の揚げパンをひっくり返すこと。出来上がっていくパンが可愛くて仕方なかったです」
高校卒業後は、調理師専門学校で学びながらアルバイトを継続。その後、正式にベイクハウス・コペの社員となる。まさに丁稚奉公だ。
1日16時間のパン修行
アルバイト時代はパンを作ることが楽しかったけれど、社員になると大変なことも増えた。勤務は早朝4時から夜遅くまで、1日16時間勤務はザラだった。
「朝、窓越しに常連の方が『行ってきます』と出勤前に声をかけてくださるんです。夕方になると、その方が『ただいま』と声をかけてくださる。『あれ、このお客さんは仕事に行って帰ってきてるのに、自分はまだ仕事が終わってないぞ?』って思ってましたね」
20代の奥山さんは友人と遊びに行くことも叶わず、「つらいなぁ」と思ったそうだ。それでもパン屋の仕事をがむしゃらに続けたのは、「単純に、深く考える性格じゃないから」だという。
「頭のいい人なら、『こっちが向いてんじゃないか』と自分の可能性を模索するのでしょうけど、そういった考えが起こらなかったんです。『楽しいかも。じゃあ、やってみよう』の繰り返しで。たしかに大変だったけど、やめるという選択肢はなかったですね」
働き始めて15年が経過したある日、先代から「2代目として、この店を継がないか」と話が持ち上がる。33歳のときだった。奥山さんは、ごく自然なこととして先代の意志を受け継ぐことになる。
店長が板についてきた頃、奥山さんは「お世話になっている地域の人たちのために、何かできたら」と考えるようになる。
そこで、奥山さんは地域のイベントを計画。町を巻き込んだちょい飲みイベントの「青葉台クルーズ」を開催するため、青葉区の飲食店へ出向いて、食事をしながら「イベントに参加しませんか?」と声をかけた。
最終的に42店以上の協力により、イベントが実現した。自治体が行っている同イベントでも最高38店舗。奥山さん個人で行ったイベントの店舗数は、いまだに抜かれていない。
地道にお店に足を運び、初対面でもコミュニケーションを取って自分の想いを伝える。そんな奥山さんの“人となり”が、次第に町の人々に認知されていった。
福祉に向き合うなかで知った、小麦の可能性
2019年、奥山さんは福祉に向き合うことになる。
社会福祉法人「グリーン」の長谷川雅一さんに出会ったのだ。 グリーンでは知的障がいのある方の生活支援と自立支援を目的に、青葉区で農薬を使わない野菜作り、食品加工・販売を行っている。その活動の一環として、国産品種の小麦「さとのそら」を栽培していた。
当時のことを、長谷川さんはこう振り返る。
「その頃、小麦の栽培がうまくいかず、収穫をしても損失が出てしまうこともあって、小麦畑を縮小していたんです。『もう小麦づくりはやめた方がいいかも』と思っていました。ただ、小麦のことをあまり知らないまま諦めるのは良くないんじゃないかと思い、小麦について知識の深い方にご相談しようと思ったのです」
そこで「小麦のプロ」として名前が挙がったのが、奥山さんだった。
奥山さんは、小麦に関する自分の知識をレポート用紙にまとめた。大手メーカーが使用している小麦の種類からブレンドする小麦粉に至るまで。長谷川さんは、「今でも覚えています。奥山さんは分厚い資料を抱えていらっしゃり、企業秘密ギリギリの内容を持ってきてくださったんです」と笑った。
ただ、グリーンの皆さんからの感謝とは裏腹に、奥山さんは「障がい者に対する自分の無力さ」に打ちひしがれていた。
「『なんでも手伝いますよ』なんて、気軽に言ってしまったけど、僕は何もわかっていなかったんです。知的障がいを持つ方々は、大声を上げたり、突然走り出したりします。長谷川さんを含むスタッフさんたちは、そんな障がいを持つ方を見守りながら畑で働いていて。僕はただ慌てるだけでした。自分は、なんて認識が甘かったんだろうと感じたんです」
グリーンに出会う前、奥山さんは「障がいがあるからかわいそう」「助けてあげよう」という考えを持っていた。
「そうじゃないんですよね。みんなが自立するために、何ができるかを考えることが大切なんだと、長谷川さんたちに教わりました」
奥山さんはグリーンとの出会いで、福祉のために、そして地域のために何ができるかを模索するようになる。
はちみつ入り!?横浜あおばビールの誕生
ある日、奥山さんはグリーンの小麦粉を使ったフランスパンを長谷川さんのもとへ持っていった。すると、グリーンのスタッフ全員は大喜びしたという。なぜなら、自分たちの農作物がプロの手によって商品になった、初めての瞬間だったのだ。長谷川さんは、「色眼鏡かもしれませんけれど、グリーンの小麦でつくったパンは最高においしかった!」と語る。
このとき、奥山さんは言い知れぬ幸福感に包まれた。
「グリーンの皆さんがあまりにも喜んでくださるので、胸が踊りました。その感動が忘れられなくて、『もっと何かできるんじゃないか』と思い、自分なりのアイデアを伝えてみたんです」
それは、グリーンでつくられる「青葉区の小麦」を使った、クラフトビールの計画だった。
小麦粉はパンだけでなく、天ぷら、ピザ、うどんにもなる。もっと認知されれば、町中の飲食店で使ってもらえる。「それならプロジェクトにしてしまおう」と思った奥山さんは、「横浜あおば小麦プロジェクト」の名づけ、長谷川さんとクラフトビールの醸造に挑戦しようと決めたのだ。
2020年の10月、青葉区初のクラフトビールが誕生した。名前は、「Angel With Blue Wings( エンジェル ウィズ ブルー ウィングス )」。「喜ばれるものを作りたい」という気持ちの連鎖を、天使の羽になぞらえてこの名前にした。
2000本をオンラインで発売したところ、なんと即完売。想定を上回り、生産が追いつかない事態となる。奥山さんと長谷川さんは、来年に向けて小麦畑の拡大を急いだ。
そして2021年、新しいメンバーが加わる。 青葉台郵便局の屋上でミツバチを飼育する、村野浩一郵便局長だ。
「え……? 郵便局の屋上で、はちみつをつくってるんですか?」
と、思わず奥山さんに聞いてしまった。
「青葉台ハニービープロジェクト」 の代表である村野さんは、ミツバチ飼育やガーデニングを通して地域の緑化に貢献し、地域美化の一翼を目指している方だ。青葉区の方たちは、仕事の枠を超えて町のために働いている人ばかりだなと思う。類は友を呼ぶのかもしれない。
プロジェクトを立ち上げた当初、村野さんは採取したはちみつをどのように使おうかと思案していた。そこで相談したのが奥山さんだった。話を聞いた奥山さんは、ある提案をした。
「今年のクラフトビールに、この青葉区で採れたはちみつを加えてみませんか?」
あおばビールは、オレンジピールを含んだホップを使用している。はちみつとオレンジ風味……。「なんてマッチした組み合わせなんだろう!」と奥山さんは閃いて提案したそうだ。
その話を聞いた村野さんはふたつ返事で快諾。こうして、村野さんもビールづくりの一員となった。そこから、奥山さんは人と人をつなぎ、輪をどんどん大きくしていったのだ。
町には、まだまだ宝が埋まっている
小麦畑では、子どもたちが稲の穂を担いで運んでいる。
横浜あおば小麦を知ってもらうための取り組みとして、小麦の収穫のワークショップを行っているのだ。
この日は飲食店のシェフや主婦、子どもたちなどたくさんの人が集まった。このワークショップをきっかけに、横浜あおば小麦を使う飲食店が増え、グリーンで栽培している野菜を仕入れたいというお店も出てきた。
小麦から始まった縁が広がっていく。その輪をつなぐのは、奥山さんだ。
「人と繋がる楽しさが、ぼくの原動力なんです。『青葉区という町に恩返ししたい』という気持ちもあります。16歳の頃から、この地域の方々に育ててもらってきましたから」
そばでは、グリーンで働く障がい者とそのご家族が目に涙を溜めて喜ぶ。「障がいを持つ子どもたちのつくった小麦がビールになるなんて……! 本当にありがとうございます」
その言葉に奥山さんは感動し、こちらこそ感謝したい気持ちになった。
「無農薬で、愛情たっぷりの小麦が横浜の地で取れることを、まだまだ皆さん知りません。僕たちが目を向けていないだけで、灯台下暗しというか、町にはまだまだ宝が埋まっているんです」
近い将来、『Angel With Blue Wings』を空港や飛行機内で販売させたいと話す奥山さん。青葉区から羽を広げたビールが、世界中を飛び回る。夢物語のようだけど、本当に叶ってしまいそうだ。
人と人とのつながり、そして笑顔。この循環を生み出す奥山さんのような人が日本にいるなら、きっと未来は明るい。
(写真提供:奥山誠さん)
~奥山誠さんプロフィール~
横浜市緑区生まれ。16歳の時に 「ベイクハウス・コペ」のパンに出会い パン屋になると決意。同店でアルバイトを始め、15年の修行ののち2代目に就任。その後はAFF(青葉台でフェイスtoフェイス)や「横浜あおば小麦プロジェクト」など数多くのまちづくりプロジェクトに携わり、青葉台を盛り上げる中心人物として現在も幅広く活動している。
2021年のあおばビール「Angel With Blue Wings」は、11月初旬頃に販売予定です。新着情報は、Facebookページからご確認いただけます。事前予約・お問い合わせは、ベーカリーカフェコペ(045-983-5176)まで。