人生に色を加える「フローリスト」という仕事

彼の束ねるブーケは、まるでラブレターのようだ。
一つ一つの花にそれぞれの想いとメッセージが込められた花束は、世界に一つだけの輝きと彩りを放つ。そこには花言葉だけでなく、新郎新婦をこれまで支えてきた家族や友人の想い、その花を育てた人たちの気持ちまでもが詰め込まれている。

「花嫁の笑顔が生まれて花束がやっと完成するんです」

フリーランスのフローリスト・杉田裕樹さん。
目の前の花嫁のためだけに生み出された花束は一つとして同じものがない。一生に一度のその瞬間を束ねる彼のブーケには特別な「色」が込められていた。

 

 

目次

僕のことはどうでもいい。主役は花でもなく花嫁。

正直、こういうインタビューは慣れてなくて(笑)。僕の仕事は自分にスポットが当たるというより、あくまで新郎新婦が主役。僕のことを知ってもらっても、ねえ?

照れながら謙遜する笑顔が愛らしい。まだ夏の空気が残る中、穏やかな空気が杉田さんを包んでいた。優しく微笑み、緊張を誤魔化すように時折ふざけながら語り始めた彼だったが、花について語り始めたその瞳には強い光が宿っていた。

「花屋」ではなく「フローリスト」。フラワーデザイナーとも表される職業は、いったいどのような仕事なのか。そしてなぜフリーランスの立場を選んだのか。


元々はチェーンの花屋で働いていました。いわゆる「お花屋さん」です。花を仕入れて、そのまま売ったりブーケを作ったり。皆さんがイメージするような仕事です。
そこから独立して今はフリーランスの「フローリスト」として仕事をするようになりました。

店舗に勤めていた頃は、パソコンで発注すれば次の日には配送業者さんがお店に花を届けてくれていました。でもフリーランスの今はほぼ全て自分で調達しないといけません。陽も昇らない朝から市場に行って、自分の目で花を選んで車に積み、それから花に触れる仕事が始まります。
大変ですよ?(笑)夏は暑いし、冬は寒い。手も荒れるし体力も必要です。


一見華やかに見える肩書きだが、その仕事内容は泥臭くたくましい。店先に並ぶ鮮やかな花々というよりも、大地に力強く咲く野花のようだ。しかし決して無骨ではなく、フリーランスという立場を生かし咲く場所を自由に変えているようだ。


フリーになってからは色々な仕事をしましたね。車で移動販売をしたり、ブーケのレッスンを開いたこともあります。そこから路線を定めていって、いまはウェディングの仕事がほとんど
。新婦が手にするウェディングブーケや会場の装花が多いですね。要望に合わせてプランナーさん達と一緒に活動をしています。

都内や関東が多いですが、声をかけてもらったらどこへでも行くし、目的を持って遠くまで旅することも少なくありません。新郎新婦が望むかたち、むしろ想像や期待の一歩先の景色を見せられるように毎回考えていますね。

結婚って基本的に一生に一回じゃないですか。その特別な機会に関われることは嬉しいし、素敵だなと毎回思います。一緒に時間を過ごさせてもらうお返しじゃないけど、新郎新婦の二人が考えている以上のものを、花を使って演出したいですよね。プレッシャーというか、責任もたくさん感じるけれど、それ以上に喜びや嬉しさを感じます。


杉田さんのinstagramをぜひ見て欲しい。
https://www.instagram.com/scabi11/

彼の生み出すブーケや会場装花は唯一無二。同じ季節でも使われる花やその組み合わせ方は驚くほどに違っている。そのブーケはまるで、花嫁が花として生まれ変わったかのように個性的だ。


打ち合わせでは、新婦さんとたくさん話をするんです。当日着るドレスのこと、好きな花やイメージしている演出のことなど。理想の結婚式にしてあげたいですからね。

でもそれだけじゃなくて、もっともっと個人的なことを聞くようにしています。趣味のこと、好きな映画や音楽、料理とかファッションのこと。どうして好きなのか、理由も含めて色んな話をするんです。

好きなことを聞いていくと、これまでどうやって育ってきたかを感じられて、さらに新しい話に繋がっていく。教えてくれた映画や音楽も実際に見たり触れてみるんです。そうすると、その人のことがだんだん分かってくるんですよ。

結婚式や前撮りで新郎新婦と触れる時間はほんのわずか。数時間から一日、多くても三日程度。その短時間のために、なぜここまで相手を知ろうと思えるのか。


相手を知らないと花も用意できないというか……どこかチグハグになるんですよね。

例えば一言で「ピンク」といっても、いくつも種類があります。どの色味・トーンなら彼女の好みに合うか、そして似合うかは、それを手に持つ人のことを知らなければ選べません。

なにより花は生き物。単純に組み合わせれば良いものができる、というわけではないんです。彼女のために花が一番美しく開いてくれるタイミングを考えて、それぞれの花がより美しく引き立つように他の花を組み合わせたい。そして、それら全てを前もって用意をする必要があります。
たった一日、季節によっては数時間違うだけで別のものになってしまう。それだけ花は自らの命の美しさを花嫁に与えてくれているんです。

主役は新郎新婦。花はそれを引き立てる役割で、僕はその花を引き立てるのが仕事です。僕の個性やセンスは花束に表れなくていいと思っています。

あくまでも自分は脇役だと語る杉田さん。これほど華やかなブーケを生み出せるなら、もっと自信を持っていてもおかしくない。どうしてそこまで謙遜するのだろうか。


僕にはずっと色が無かったから。
色を見つけてくれたのが花だったんです。

 

透明になった学生時代。自分に色を付けた花との出会い

異色の経歴と言ってもいいだろう。スポーツの名門、日本体育大学出身。高校時代はバスケットボールの名門、千葉県立八千代高校で部活一色の日々を送った。スポーツ一色だった人生から一転、なぜ彼は花の世界へ踏み出したのか。


小さい頃からバスケ漬けの生活でした。きっかけは『スラムダンク』(集英社・井上雄彦)。漫画の中の舞台に憧れてバスケをはじめて、高校でインターハイに出ることが夢であり目標だったんです。その先のことなんて何も考えてませんでした(笑)

高校もバスケ優先で学校を決めました。入学してからは、絶対にインターハイに出れると信じて毎日朝から晩までバスケしてましたね。とにかく全力で夢であるインターハイ出場のことしか頭にありませんでした。

そして三年まで続けてきて最後の夏。インターハイ出場へのラストチャンスで、僕はベンチから外れました。インターハイに出るどころかコートに立つことすら叶わなかった。それまで試合にも出ていたし、メンバー発表で自分の名前がなかった時は信じられませんでしたね。
そのとき、自分が空っぽになっちゃったんです。

 

幸か不幸か、その後チームは勝ち進みインターハイへ出場。ベスト16まで勝ち進んだ。しかしそこに自分の姿は無い。もはや自分の夢や目標とは関係のない結果だった。

 

何をすればいいか分からなくて。とにかくバスケを続ければ何とかなると思って、必死に勉強して日体大へ入りました。でも、もう夢は消えてたんですよね。部活もすぐに辞めちゃいました。


憧れていたのは高校バスケの世界。大学で同じスポーツをしていても宙に浮いたように力が入らなかった。結局「普通の大学生」に憧れ、少しずつバスケからは離れていった。


部活漬けの毎日では経験できなかったオシャレとか恋愛をして、それなりに楽しかったんです。でも「それなり」。熱中できるものがなくて、少しずつ自分の中から色がなくなっていくのが分かりました。空っぽで何も無くて。透明でした。なんとなく教職の資格を取ったけどその先に進む気もなかった。


「もう何でもいいや」
長い間自分を支え、抱えていた想いは枯れてしまった。しかし、それまでの道のりは決して無駄では無い。一つの諦めが、これから長く続く一歩目を踏み出させてくれた。


何もないなら新しいこと、やったことのない世界に挑戦しようと思ったんですよね。地元・青葉台の駅前で友達とそんな話をしてたら、ちょうど目の前に花屋があったんです。「あ、花いいじゃん」って。その足でお店に入ってバイト希望を伝えにいきました。

 

単なる偶然かもしれない。しかし花との縁は意外にも高校時代からあったようだ。


メンバーを外れた夏に自分の学校が予選会場の一つになって、ベンチ外メンバーは会場準備に駆り出されたんです。僕はメンバーも外れたし、軽く不貞腐れながらただ何となく整備係をしてたんですけど、そのとき花のプランターとかを並べていたらしくて。それを見た監督から「お前花屋になるよ」って言われたのだけは覚えてるんですよね。後から聞いたら、周りよりも丁寧に楽しそうに花に触れてた、って。不思議ですよね。

世界に彩りを与えてくれた一本の花

花の名前はもちろん、扱い方もまるで分からない。まさに未知の世界だった。それでも何かを探して日々を過ごした。
空っぽで透明だった日常に光が射したのは、一本のチューリップがきっかけだった。


最初は花を壊しそうで、触るのも怖かったんです。本当にゼロから教わりました。まだそんな時に売り物のチューリップの茎を折っちゃったんですね。商品だし怒られると思って店長に謝ったら「持って帰っていいよ」って言ってくれて。飾り方だってまだ知らなかったけど、分からないなりに家で花瓶に挿したんです。
そうしたら、毎日朝は花が開いて夜には閉じるんですよ。「なにこれ!?面白い!」「切り花ってすごいな!生きてるんだ」って、一気に興味が沸きました。知ってます?チューリップって切り花でも茎が伸びるんですよ?


高校時代の辛い経験から一転、まるで蕾が開いていくように表情と声色が明るくなった。花について話す杉田さんは、これまで出会った一つ一つの花を思い出すように穏やかな笑顔だった。


たくさんの花を知って、その子たちの個性や魅力を勉強しました。どうやったらもっと綺麗に見えるかをずっと考えながら触れましたね。働くまで、花は送別会や発表会のお祝いで贈るイメージが強かったけど、僕が働いていたチェーン店は花と過ごす日常をコンセプトにしていました。良い理念だと今でも思うし、このお店だったからこんなにも花を好きになれたのだと思います。

季節ごとに旬があって、毎日新しい花と出会い楽しむうちに、気が付くと自分の中の透明だった気持ちがなくなっていたんです。空っぽだった部分を季節の花々が埋めてくれたんです。季節ごとの彩りが無色透明な気持ちを少しずつ明るく染めてくれていました。

いま思うと、店舗での仕事はお客さまのためだけど、自分のためでもあったんですよね。

仕事のやりがいも生まれていく。アルバイトから社員へ、そしてショップマネージャーを務めるようになった。季節のブーケもディスプレイも、今までにない方法を試しながら、たくさんの人に向けて花の届け方を工夫していった。たくさん花を知って欲しい気持ちが膨らんでいく。しかし店舗経営を考えると、広く浅く伝える方法をとるしかなかった。

「もっと伝えられる魅力があるのに」
花を知れば知るほど、もっと深くこの魅力を伝えたいと思うように変わっていく。それは花だけでなく、花を生み出した人たちについても。


当たり前のようにお店には花が並びます。でも知って欲しいのは“その花を育ててくれた人がいる”ということ。種の状態から毎日水をやって愛情と真心を持って育ててくれたからこそ、あんなに美しい花を僕らが手にすることができるんです。そしてそれを集めてくれる市場の人がいて、届けてくれる配送業者の人たちも一緒に働いている。僕ら花屋は、そんな花々を最後に少し触らせてもらってお客さまへ届けているに過ぎないんです。


一本の花にどれだけの愛情が込められているか。そこにどれだけの苦労と時間がかけられ育っているかを考えたことがあるだろうか。花の価格は長さによって変化し、長いほど価格は上がる。長い時間と労力が注ぎ込まれているからだ。


同じ「バラ」でも農家さんによって咲き方や色は全く違います。美しさに個性がある。
例えば、茨城の神生バラ園の花は、力強く元気な子が多いです。静岡のやぎバラ育種農園は繊細で優しい色合いが特徴ですね。どちらも育てている農家さんにどこか似ていて、とても素敵だし可愛くて、僕は育てている人も含めてその花たちが好きなんです。

自分のやりたいことは何かを考えたときに、たとえ人数は少なくなっても店舗では伝えきれない一本一本の花の魅力を伝えていきたいと思えたんです。

それで、思い切ってフリーになろうって決めたんです。

 

芽吹く努力、色付く自信

「花屋」から「フローリスト」へ。
10年近い店舗経験で少なからず自信は持っていた。しかしそれは小売店での話。フローリスト、しかもフリーランスとして個人で活動していくことに初めは手探りだったという。


フリーの自分に何ができるのか分かりませんでした。花束作りと装飾なら店舗での経験がある。だからその二つが役立ちそうな場所にひたすらメールしましたね。名前も知らない自称フローリストからのメールなんて大体が無視。返事があっても定型文ばかりです。
それでも自分ができることを必死に伝えていくと少しずつ返事をしてくれる人がいたんです。もうガムシャラで、相手の要望に答えようと必死で無理をしていきました。

最初の仕事は福島の結婚式場。車で4時間かけて、とにかく不安で花も資材も必要以上に用意していきました。上手くできるかという心配も大きかったけど、なによりも喜んで欲しかったんです。とにかく一生懸命向かい合いました。結婚式のあと、ものすごく感謝をしていただいて。今でもその式場のホームページに当時の写真が残っているのは嬉しいですよね。

一つ芽が出ると、少しずつ次の仕事が芽生えていった。北陸や九州など遠方の仕事が多かったが、どこへでも向かった。移動距離は徐々に短くなっていき、やがて関東の仕事が増えていくうちに、いつからか「東京で仕事がしたい」と思ったという。


どんな場所でも、どんな相手でやることは変わりません。でも東京だけは絶対的に競合が多くて。そんな場所で選ばれる存在になりたいと思ったんです。そうすればもっと自分に自信を持てるはずだから。だからとにかくできることを一つずつ、相手のために全力を尽くしていきました。

 

フリーランスとして必死に仕事を続けていくと、旧友にもそれが知られていった。あるとき友人からウェディングブーケを作って欲しいと依頼が来た。その会場は、東京で主に活動するウェディング会社が取り纏めていた。


すでにプランナーが入っていたけど「ブーケだけは杉田さんに」と友人がお願いしてくれたんです。結婚式で自分がつくる花束を持ちたいと思ってくれたことが本当に嬉しかった。そして、憧れていた東京の会社と一緒に仕事ができることも。

その時はブーケだけだったけど、なんとか東京で活動する会社と繋がりたくて。プランナーさんと連絡先を交換して、自分にできること、花への想いを全部話しました。そうしたら後日「ぜひ一緒にやりましょう」と言っていただけたんです。

一流の会社が用意する東京の現場に自分のブーケが一緒に並んだ。それだけでなく、一緒にやろうと声をかけてくれた。その時にやっと少し自信が生まれて、透明だと思っていた自分に色が付いたと思えました。

この出会いをきっかけに東京での仕事が少しずつ増えていく。しかし今まで以上に必死だった。数多いるフローリストの中で自分を選んでもらうために毎回成長と進化をしかなければいけなかった。


声をかけてくれる人がいることに感謝しながら、前よりも自信を持って仕事するようになりましたね。でも慢心はしませんでした。
主役は僕ではありません。新郎新婦やお嫁さん、家族が主役であって、そこに花を添えて「花嫁」を彩るのが僕の仕事です。
だから自分を表現するようなアート作品を作るつもりもない。自分の名前が表に出る必要はないと思う時もあります。

自分のためではなく、その人のために花を用意したい。だからたくさんのことを聞きたいし、要望に応えながら、相手の想像よりも少し先の景色を見せてあげることが自分の使命だと思ってます。

 

花に言葉を、人生に色を加えるフローリストという仕事

杉田さんが手掛けた式の写真の中に一本のガーベラを見つけた。夫婦が自然と笑い合う中に大きく赤い花が彩りを添える。それはとても自然に、まるで家族の一員のように新郎新婦を囲む時間を彩っていた。   

この花の色が違うだけで、この日の思い出は変わります。一生の中で大切な時間を記憶に残る瞬間にしてあげたい。新郎新婦の二人が思っているより少しだけ明るく華やかに色をつけることで、記憶も彩りある鮮やかなものになると思うんです。

その日、その場所で、その家族が過ごす時間を僕たちは託されています。同時に農家の方がこれまで育ててくれた花の命も託されているんです。家族の成長と花の成長はどこか重なるようで、同じ時間に一緒に咲き誇っていることも絶対に縁であり運命なんでしょうね。

結婚する二人には、その日にその花を選んだ意味を説明するんです。ただ綺麗だという理由だけでなく、この花を育てた人はどんな人で、どんな想いを持っているか、どうして花にその名前が付けられているかを一本一本伝えるんです。運命的に繋がった二人の大切な日に、花を通して縁や繋がりを思い出してくれたら、新郎新婦の人生に新しい色が加わると思うんです。


花に想いを込め、それを言葉に乗せ、新しい門出を迎える新郎新婦に彩りを与えていく。杉田さんの生み出す花束には魔法がかけられているようだ。

その後の人生で、同じ季節を迎え同じ花を見るたびに、その日までのことや、特別な日のこと、その時の笑顔、全てを思い出して欲しいんです。

花は、透明で色を失っていた僕の人生に色を与えてくれました。
誰かの人生に色を加えることが、僕にとって花への恩返しなのかもしれません。

 

◆杉田裕樹さん 問い合わせ先
【Instagram】@scabi11

ABOUT US
大久保忠尚
ライター・小説家・ちゃっかり会社員。東京生まれ・東京育ち。面白いこと、楽しいことはとりあえずやってみる。花と野球と料理好き。今年は推しのヤクルトが強くて驚いている。