「今いる場所がすべてじゃない」1日20時間勤務と出産の先に見つけた、本当の自分とは

青森県八戸市でオンラインアシスタントの会社、株式会社リモートストーリーズを経営している、田中美華(タナカミカ)さん。
7歳と4歳のお子さんを持つ母親でもある彼女は、大学卒業後に学習塾の立ち上げに携わり、店舗拡大に奔走してきました。ところが入社2年目に入った頃、思いがけず妊娠。出産後、1カ月半で職場復帰します。子育ての喜びを感じながらも、仕事との両立の難しさを痛感する日々。そしてある日、心身ともに限界が訪れます。
どん底を経験した田中さんは、そこからどのように復活したのでしょうか。お話をうかがいました。

目次

大学院に通いながら、学習塾を立ち上げる

田中さんは地元の青森県八戸市で高校までを過ごし、早稲田大学へ進学。その後、大学院に通いながら学習塾で働き始めます。

「経済的な理由から、大学院に通うだけという選択はありませんでした。母子家庭で育ったため、金銭的な面で母に迷惑をかけたくなかったんです。同じアルバイト先の先輩に学習塾を立ち上げるからと誘われ、英語を活かせるならと思いました」

子どもの頃から英語を習い続け、大学時代にはアメリカで1年間留学していたこともある田中さん。その経験と語学力を買われて、先輩と経営者と3人でのスタート。まずは塾を開校するための場所探しから始まりました。

「当時は何でもやりました。チラシ配りや日々の戦略会議、開校してからは英語の先生として教壇にも立ちました。親御さんとの面談や生徒を集めるための電話がけもしましたね。
1日15時間の勤務。さらに夜ミーティングと呼ばれる飲み会も入れると20時間。友人はあそこのランチがおいしかったとか旅行の話をしているのに、私は休みなく働いていました。働き方がみんなと違うとは思いつつも、仕事だから忙しいのは当たり前って思っていたんです」

 

子育てと仕事は両立できると思っていた

忙しくも、やりがいを感じていた田中さん。
1年半ほど経ったころでした。

「思いがけず妊娠したんです。24歳のときでした。スタッフも店舗も増え始めて、これから、というとき。なかなか言い出せませんでしたね」

今まで通り仕事に取り組みますが、身体は変化していきます。

「母になる憧れはあったので単純にうれしかったです。でも、つわりが辛くて。タクシーで通勤した日も多かったです」

その後、無事に女の子を出産。1カ月半という早さで復帰します。

「私の母も働きながら子育てしていましたし、すぐ復職できると思ったんですよ。でもそれは、私が小学生の頃の記憶だったことに後々気づいたんです。
夫はというと、当時はあまり協力的ではなくて。私が頑張るしかなかった。なので、会社近くにマンションを購入して通いやすいようにしました」

田中さん夫妻のそれぞれの両親はまだ現役で働いていました。そのため、お子さんを抱いて出社したことも。

「ベビーシッターも利用しましたが、今のように使いやすいサービスはありませんでした。会社の許可を得られていたこともあり、赤ちゃん連れで出社することもあって。すごい光景だったと思います(笑)」

 

髪が抜け、起きているのか寝ているのかわからない状態に

妊娠前と同じ業務をこなし、子育てと家事をする毎日。我が子はかわいくてたまりませんでしたが、徐々に心身の限界が近づきます。

「出産したらバカになるんだって思うくらい、仕事ができなくなりました。当たり前なんですけどね。ホルモンバランスが変わっているし、夜もほとんど眠れていませんでしたから。とはいえ性格上なんとかこなすんですけど、もっとこうしたら良くなるのに、ということが全然浮かばなくて。仕事もできない、子育てもできない。自分がダメな人間に思えてきました」

そうして1年近く経った頃、職場内から「プロ意識がない」「公私混同している」と心無ない声が聞こえるように。

「私は唯一の女性社員でしたが、働きぶりを認められて最年少ながら役職にも就いていました。店舗も拡大を続け、会社として勢いのある時期でしたから、みんなが上のポジションを狙っています。手を抜いているつもりはありませんでしたが、出産前と比べるとそう見えていたのかもしれません。
見た目にも変化が出てしまって、髪の毛が一気に抜けました。産後だからと思っていましたが、ばしゃーっと束で抜けて。異常でしたね。その頃から辞めよう、続けようを行ったり来たりするようになりました」

そしてある日のこと。

昼はベビーシッターに来てもらい、夜は旦那さんがお子さんを寝かしつけていました。ふらふらになりながら、早朝4時に帰宅した田中さん。

旦那さんに向かい、こう言います。

「私を殺して」

 

母の言葉で退職を決意

「自分の口から出た言葉なのに、自分が驚いて。夫もうろたえて、会社に電話しようとしていました。大変な精神状態であることに、やっと気がついたんです。それでも、退職の決断はできませんでした。会社が大きくなっていくところを見てきて、これからも成長を見続けていたい。だからまだ迷っていましたね」

とはいえ、心の中では退職に向かっていたのでしょう。青森にいる母親に電話をします。

(十和田湖:写真提供 田中さん 以下同)

「相談のつもりで電話しましたが、『やめなさい、一度帰ってきなさい』と言われました。そこでやっと退職する決心がついたんです」

退職し、子どもを連れて故郷の青森県八戸市に1週間滞在。その後、東京へ戻ります。
しかし、住まいは会社近くのマンションのままでした。

「人に見られている感覚がずっとありました。退職前、実際に職場の人から『ちゃんと仕事をしているか』を常に見られていたんです。今も見られているんじゃないか、盗聴されているんじゃないかと思い込んでしまっていましたね。なので、家から出るのはスーパーと小児科に行くときだけ。それも、遠くまで行っていました。見られることが怖くて怖くて仕方がなかったんです」

 

自分と向き合ったからこそ、また世界を広げられる

ところが、自宅にこもる生活が3カ月ほど続いた頃、家にお金がないことに気がつきます。田中さんは目が覚めたかのように、「この状況を一刻も早く変えなくては!」と動き出します。

しかし、会社員に戻ることは考えていませんでした。

「今なら会社員になることも選択肢に入るんですが、当時は他の会社も同じような働き方なのかもしれないと思っていたんです。なので、自分には何ができるのか? とたくさんの本を読み、考えましたね。そうするうちに、本当の自分を思い出したんです」

(小学生時代の田中さん)

子どもの頃から明るく元気で優等生。小学4年生でアメリカでホームステイを経験し、中学・高校時代は運動が苦手ながらも強豪校のソフトテニス部に所属。部長を勤めていました。大学ではシュタイナー教育に興味を持ち、大学院へ進学。留学先のアメリカでは英語を学ぶだけではなく、道で出会った人たちとジャズのセッションをするなど、自分の世界を広げてきた田中さん。

「私、こんなんじゃないって思ったんです。お金をかけて東京の大学に行かせてもらって、貴重な経験をしてきました。でも今は、お金もないし仕事もしていない。何も生んでいない。こんな自分、おかしい。昔は違った。私はもっと、広い世界にいるはずだって。そう気づいたら、力が湧いてきました」

 

今いる場所がすべてじゃない

その後、子育て中でも仕事ができるオンラインアシスタントの会社を起業。子育ての環境を考慮し、自然豊かで、かつ母親も暮らす青森に拠点を移します。

「日本全国、そして海外にも私と一緒に働いてくれるスタッフがいます。そのほとんどは、子育て中のお母さんです。お客様も国内外問わず、幅広くお付き合いをいただいています。プライベートでは、家族での時間をたくさん持てるようになりました。夫は釣りが趣味になり、子どもを連れてよく遊んでくれています」

(旦那さんとお子さんたち)

最後に当時の自分や、当時の自分と同じような状況にある人へどんな言葉をかけたいか聞いてみました。

「勤めていた会社には感謝していますし、あのときの経験が役立つことも多いです。それに、経営者という立場になって、あらためて当時の経営者の凄さを感じます。

でも自分が何をしたいか、どんな人生を送りたいかを考えることができなくなったら、その場を離れるほうがいいです。私も離れたからこそ、本当の自分を見つけることができました。
今いる場所がすべてだと思い込んでしまいがちだけど、会社を辞めたって死ぬわけじゃない。少し休んで、また動き出せば、必ず誰かが助けてくれます。そう伝えてあげたいですね」

 

<田中さんプロフィール>
田中美華(タナカ ミカ)さん 株式会社リモートストーリーズ 代表取締役
1988年青森県八戸市生まれ。
早稲田大学国際教養学部を卒業後、企業勤務を経て独立。
2015年からZoomの利用を開始し、早くからZoom活用促進に注力。大手研修会社に てZoomを使ってのセミナーを担当するなど、講師としても活動。 月100本程度のZoom研修プロデュースをおこなっている。 東京から青森県にUターン移住中。

 

(編集:中村洋太)

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kahoru
北海道生まれ、埼玉県在住。求人広告営業、専門学校勤務を経てライターに。インタビュー記事や導入事例記事を書いています。うさぎさんラブ。