起業するがんサバイバー、元看護士が「絶賛されるスプーン」を作った理由

 

「一人じゃできなかったと思います。みんながいたからできたんです」

朗らかな笑顔を向けながら、その女性は首を振った。ここは大阪市北区の中之島にある超高層ビル、関西ビルディングの一角にあるオフィス。久しぶりの大雨で、強い雨音が窓ガラス越しに聞こえてくる。けれど、彼女の声には雨にも負けない、強い意志があった。

関西電力病院の看護師だった柴田敦巨(あつこ)さんは、40歳のとき、「耳下腺(じかせん)がん」の告知を受けた。がんの腫瘍を取り除くための手術は、3度にもわたる。顔面神経も同時に切除したため、顔の左半分にマヒが残った。

治療を受け、生活を続けるなか、柴田さんは同じがんを抱える仲間と出会い、運命が一変。彼らと食事を共にするうちに、柴田さんは思ったのだ。

「世の中には、なんでこんなに食べにくいスプーンばかりなんだろう?」

その発想を形にしようと、関西電力のグループ企業として「猫舌堂」を設立し、咀しゃく障害や摂食障害、味覚障害を持つ人も心地よくおしゃれに使えるカトラリー(スプーン・フォーク)を開発。このカトラリーが人気を集め、食べることに悩みを持つ人だけでなく、育児中の家族や高齢者から親しまれた。

「カトラリーなんてどれも一緒と思っていたら、大間違いだった」

「口に入れたときの優しさに衝撃を受けた!」

「このスプーン・フォークだと、子どもたちはいつもよりご飯をたくさん食べてくれる」

などと、多くの反響の声があがっている。

がん発症から起業までの出来事は、2014年から2020年の間に起こった。それも、ビジネスの世界をまったく知らない、一人の主婦にーー。看護師から起業家へと転身した、柴田さんの軌跡を聞いた。

 

看護師から、がんサバイバーに

柴田さんは看護師免許を取得後、関西電力病院働いていた。その間に結婚、出産を経験。仕事と家庭の両立で、追われるような日々を過ごすワーキングマザーだった。

病院では、がん治療を通院で行う外来化学療法室を担当し、看護師としてキャリアを築いていた柴田さん。

看護師時代の柴田さん。

2014年、40歳になった柴田さんは、たぶ裏にあったしこりが大きくなっていることに気が付く。痛みも出始めていた。このしこりは15年前から自覚していたが、原因がわからず放置していたものだった。

「チリチリッとして、時折ピキッとした痛みが走りました。その時も『なんやろ、虫歯かな?』くらいにしか考えなかったんです」

そんな矢先、友人に紹介されたフェイシャルエステを受けに行く機会があった。エステティシャンから、「柴田さん、耳の裏に何かあるよ。病院でくわしく診てもらった方がいいんじゃない?」と心配がられてしまう。その言葉を受けて、柴田さんはちゃんと検査を受けようを思い立ち、勤務している関西電力病院の耳鼻科を受診した。

病院では触診、エコー、腫瘍の細胞を針で採取する検査、そしてMRI検査も受けたが、悪性の所見は見当たらなかった。医師からは「良性の腫瘍と思うけど手術で取った方がいいですね」と言われ、手術をすることになる。しかし、いざ手術をして取り出した腫瘍は、悪性だったのだ。

病名は、「耳下腺がん(腺様のう胞がん)」。唾液腺(耳下腺・顎下腺・舌下腺)などに発生しやすい悪性腫瘍である。がんとわかったからにはリンパ節に転移していないかを調べる必要があり、再手術を行うことに。しかし、耳下腺のすぐ近くには表情などを動かす顔面神経がある。そのため、手術の際、顔面神経を切除してつなげる手術も受けた。

息つく暇のない状況に、さぞ不安を感じたかと思いきや、「なってしまったものは、仕方がない」と柴田さんは冷静だった。それよりも、これからのことが気になったという。

「先に頭をよぎったのは、『高校生の娘のお弁当づくり、どうしよう』とか、『春休みに小学生の息子の友達が家に泊まることになっていたけど、断らなきゃ』など、これからするべきことでした。あとは、やはり仕事のこと。入院している間、同僚に迷惑をかけてしまうなぁって、そういうことばかり考えてましたね」

 

人前で食事ができなくなった

2回目の手術後、柴田さんは「食べること」についての苦悩に直面した。顔面神経を切除したため、左顔面神経麻痺が残り、今までのように食事をすることができなくなっていたからだ。

たとえば、飲み物を飲むときは左の口角を自力で動かせないため、口の右側にストローをくわえてこぼれないようにくちびるを手でつまんで飲んだ。食べ物は右半分で食べるようにするが、口の動きが悪いため何度も頰の内側を噛んでしまう。

また、口の左半分から食べ物がこぼれ出るので、洋服が汚れないように膝の上にハンカチをかけ、口元はティッシュやナフキンで拭きながら食べなければならなかった。「イメージでいうと、歯医者さんで打った麻酔がずっと続いている感じです」と柴田さん。

手術後の柴田さん。

手術から3週間後、職場に復帰した柴田さんに、さらなるつらい現実が待っていた。かつては勤務する病院の社員食堂で同僚と一緒にお昼ご飯を食べていたのだが、手術後は個室でひっそりと食べることになる。

「いろんな人の目が気になって……。こぼしたり、食べ方が何かおかしかったりするし、顔が歪んでいるところを見られるのがつらかったんです。上司に相談して、個室でお弁当1人で食べていましたね」

仕事帰りや休みの日に友人と食事をすることも楽しみの一つだったが、手術を受けてからは行きたいと思えず、周囲にがんのことを話すこともできなくなっていた。

「食べづらさよりも一緒に食べられない、人や社会との繋がりがどんどん失われてしまうのではないかと思うことのほうがつらかったです

その孤独感は、病気が「希少がん」だということもあるかもしれない。耳下腺がんは10万人に6人未満の発症率といわれる希少がんで、情報も少ない。その名を聞いてもすぐに理解できる人はほとんどおらず、柴田さんは孤独感に悩まされた。

「自分と同じような人はいるのだろうか……」

そう思った柴田さんは、同じ症状の人を探してみようとネットで検索。そこで辿りついたのが、「はまさん」だった。同じがんを発症したはまさんは、自身のブログで「耳下腺がんに負けない」というテーマのもと、病気についての情報発信を行っていた。

「こんな人がいるんだな」と思って、たびたびブログをチェックしていた柴田さん。一年の時が経過した2015年のある日、ふと、はまさんのブログを見てみると、がん患者やその家族のための日本最大級のイベント、「ジャパンキャンサーフォーラム」に参加する予定だと書かれていた。

「会ってみたいな」

そう思った柴田さんは、浜田さんのブログのコメント欄に「私も同じ病気で、フォーラムに参加しようと思っています」と投稿。すると、はまさんから返信があり、当日会うことになったのだ。

初めて顔を合わせた、はまさんと柴田さん。

はまさんとは、会ったその日のうちに打ち解けたという。お互いの食事の苦労や工夫などの話で盛り上がり、「わかる~」と笑いあった。

会話が弾むなか、柴田さんは「がんになったことで、周囲に気を使わせているんじゃないかってしまうんです」と、今まで誰にも話したことがなかった思いを打ち明けた。そこで、ふっと気持ちがゆるんだ。

「今まで自分のなかで止めていた感情を出せたことが、涙が出るほどうれしかったんです。同じ境遇の仲間と出会うことで、こんなにもパワーをもらえるんだって思いましたね」

 

「猫舌さん」との出会い

はまさんに会ったその日のこと。

「腺様のう胞がんの情報があまりにも少ないから、罹患した人たちと繋がりを持てるチームをつくろうと思うんだけど、あっつんさん(柴田さんのニックネーム)、どう思いますか?」と、はまさんに聞かれた。

「はまさんのように、同じ境遇の誰かを励ましたい」という思いが膨らんでいた柴田さんにとって、その提案は大賛成だった。

それが2016年8月15日に発足した、「TEAM ACC(チーム エーシーシー)」

「ACC」とは、adenoid cystic carcinomaの略で、「腺様のう胞がん」のこと。TEAM ACCは、希少がんである腺様のう胞がんについてメンバーの治療体験談をホームページに載せたり、交流の場をつくったりするためのチームとして誕生した。

その交流会で、柴田さんは「猫舌さん」というニックネームの女性に出会う。

実は柴田さんは、以前から猫舌さんのことをブログで知っていた。そのブログのタイトルは、『舌はないけど、猫舌ですがなにか?』。そこには、腺様のう胞がんにより舌の大部分とあごの一部を切除した猫舌さんが、溌剌とした文章で自身の体験を書いていた。柴田さんは猫舌さんの文章を読んで、「なんて強くて、おもしろい人なんだろう」と思ったそうだ。

交流会をきっかけにして、猫舌さんに直接会うことができた柴田さん。同じ年齢で、近い時期にがんを発症したということもあり、ふたりは急速に打ち解けあい、大切な友人になった。

「悩んでいるのは、一人じゃなかったんだ。もう悩むことを我慢しなくていいんだな」

そう思った柴田さんは、「仲間のためにできることは何だろう」と模索するようになっていく。

柴田さんと猫舌さん。

 

同じ境遇の仲間と食べた、ディズニーシーのハンバーガー

TEAM ACCの仲間たちとの交流のおかげで、柴田さんは以前の明るさを取り戻していた。だが、さらなる試練が待ち受けていたのだ。

手術から2年後の2016年、がんが再発。3度目の腫瘍摘出の手術を受けることになる。顔面の神経を復活させるために、ふくらはぎの神経の移植も同時に行った。そして手術後は化学放射線治療も行い、副作用で倦怠感や吐き気、味覚障害などに苦しんだ。味がしないため食事も楽しめず、心身ともにまいってしまう。いつ何時死ぬかもしれない、という思いもよぎった。

そんな柴田さんの心の拠り所になったのは、やはり、同じがんを経験した仲間たちだった。たびたび連絡をもらい、「一人じゃないよ」「一緒に生きよう」「応援しているよ」とエールが届き、どんなにつらい治療でも彼らの顔を思い出すと耐えることができた。

***

柴田さんには、忘れられない出来事がある。

2017年の冬、3度目の手術を終えた数ヶ月のある日のこと。TEAM ACCの仲間の数人と、東京ディズニーシーへ遊びに行くことになった。食事のためにお店に入ると、その店はハンバーガーがメインのお店だった。ハンバーガーは口を大きく開けなければなら口の周りが汚れてしまう。メンバーにとってはハードルの高い食べ物の一つであり、人前では到底食べられないものだった。

「一人だったら、たぶん別のお店に行っていたと思います。最初はどうしようかと悩んだけど、みんなと一緒ならチャレンジしてみようと思えたんです」

柴田さんたちはその場の勢いで、ハンバーガーをひとつずつ注文。みんなで一斉に口を開けてガブッとハンバーガーを頬張った。

そのときの光景が、柴田さんは忘れられない。あるメンバーは「一生食べられないと思っていた!」と嬉しそうに頬張った。「そのハンバーガーの味が、忘れられないくらいおいしかったんです」と、柴田さんは微笑む。

ハンバーガーを頬張る柴田さんと猫舌さん。

後日、中学生になった息子から、「ママはがんになる前より、今のほうが楽しそうにしているね」と言われた。

「息子の言葉は、すごくうれしかったですね。『がん人生の終わり』のようなマイナスなイメージではなく、プラスなイメージを持ってもらえって思いました」

仲間がいれば、なんだって挑戦できる……。そう感じたこの出来事で、柴田さんは大きな一歩を踏み出すことになる。

 

起業チャレンジ制度への挑戦!

3度目の手術を終え、少しずつ体調が回復してきた柴田さんは、「自分の経験を活かせることをやってみよう」と思い立つ。

2018年の12月、がんを経験した看護師による患者支援会「ぴあナース」で ぴあカウンセリングを学ぶため、横浜へ向かった。「ぴあ=peer」とは、「同じ境遇の仲間のこと」を意味する。

「がんになる前は、患者さんのことを『〇〇(病名)の患者さん』と思って接していました。けれど、病気はその人のパーソナリティーではないんですよね。それぞれに生活があり、人生があるんです。当事者になって、初めてそれを理解することができました。ぴあナースでは、がん経験のある看護師が患者と医療の架け橋になるための講習会行っていて、そこでの学びに心を打たれましたね」

学び終えた柴田さんは、「がんによって孤独な思いをしている人の『心の拠り所』となる場所をつくれたら……」と考えるようになった。

ぴあナースの講座を受講し、修了証書を受け取る柴田さん。

そんなある日、同僚から「関西電力の起業チャレンジ制度が、新しい事業のアイディアを募集しているそうですよ」と聞いた。関西電力病院に勤めていた柴田さんは、その制度に応募する権利があったのだ。

「自分の思いを実現するチャンスかしれない……」

そう思った柴田さんは、応募を決意。ただ、起業したいという思いより、まずは誰かに伝えなくちゃという思いの方が強かった。

しかし、応募するために企画を考えなければならない。そこで柴田さんは、「がん仲間の拠り所」をつくるための収益の一つとして、「誰もが使いやすいスプーンやフォークの開発」を企画することにした。がん仲間たちと食事を共にしたとき、ふと、「世の中には、なんでこんなに食べにくいスプーンばかりなんだろう?」と話したことが着眼点だった。

その後、柴田さんの企画は審査を通過。喜びを噛み締める暇もなく、起業に向けた実証実験が始まった。

 

新潟県燕市の職人とつくったカトラリー

起業への実証実験が進むなか、柴田さんが企画したカトラリーが完成した。名前は、「iisazy(イイサジー)」。名前の由来は「いいさじ加減」をもじって名付けた。そのスプーンとフォークの製作秘話を伺うと、徹底的に考え尽くされたもので驚いた。

準備を進めるなか、柴田さんは、金属製品の全国シェア90パーセント以上を占める新潟県燕(つばめ)市で作ることを決めていた。なぜかというと、国産で世界に誇れるものを作りたかったから。そして、食べ物を飲み込むという意味の「嚥下(えんげ)」には「燕」の文字が入っていることから運命を感じていたからだ。

新潟県燕市の職人のもとで、試行錯誤を重ねた。

その後、新潟県の地場産業振興センターに出向き、カトラリー職人を紹介してもらう。その足で職人のもとへ向かい、自分の普段使っているカトラリーを手にしながら、こう伝えた。

「私たちは手術や治療のためデリケートな口腔状態になっていてこれといったスプーンやフォークに出会えていません。そのため、自分たちにとってちょうどいいものを作りたいんです」

すると、その職人はすぐにサンプル作りにとりかかってくれたという。「さすが職人さんといった感じで、私たちのイメージをパパッと形にしてくれましたね」と柴田さんは振り返る。

その後、TEAM ACCの仲間たちをはじめ、同じ境遇の人たちにサンプルを使ってもらい、インタビューを重ねながら、理想的なスプーンとフォークが出来上がった。

完成した「iisazy」シリーズのスプーンとフォーク。

実際にスプーンとフォークを見てみよう。

形状は幅が狭くて薄く、平らな形状をしている。これらは口をあまり開けられない人や食欲がない人でも、ストレスなく使えるようにするための工夫だという。

口に含んでみると、薄口のビールグラスのような感触だ。持ち手は手にしっくりなじみ、通常のスプーンよりも軽い。フォークは先端が丸く加工されているので、口内に当たっても傷つく心配がないという。

その見た目は非常にシンプルで、良い意味で特別感がない。それは、「社会にとけこんで、誰からも愛される製品にしたい」という、柴田さんと仲間たちの思いの表れだった。

「いかにも介護とか、いかにも安っぽいものとかではなく、国産にこだわって世界に誇れるものをつくろうと思いました。外出先に持ち込んでも、見た目を気にせず『イイネ!』って思われるようなデザインにたかったんです」

「食べられないことよりも、一緒に食べられないことの方がつらかった」という経験をもつ柴田さん。その思いが、「みんなで食事を楽しめるように」とカトラリーにも反映されたのだ。

 

『一人じゃない』と伝えられる場所を

2020年2月、関西電力のグループ企業として「猫舌堂」が設立された。社名である猫舌堂は、カトラリーの製作や会社の立ち上げに大きく貢献した、猫舌さんのニックネームを使わせてもらった。

その後、猫舌堂はオンラインショップで販売を開始。また、関西電力病院や大阪国際がんセンターなどのローソンで販売され、入院や通院中の人の手に触れるようになる。

購入者からもさまざまな反応があった。ある日、柴田さんが百貨店の催事に出店していると、商品を購入した方が後日もう一度やってきて、「くちびるが感動したわ!」と言って、追加で家族や友達の分も買いに来た。その他も「大切な人に贈りたい」という声があがり、ギフト仕様の「月見桜シリーズ」も発売。月見桜色(ピンクゴールド)のカトラリーで、贈り物として人気を集めている。

ギフト用の「月見桜シリーズ」。結婚祝いや出産祝いにも注文が入るそうだ。

また、離乳食期の幼児いる家庭からは、「食べるのを嫌がっていたのに、このスプーンだと食べてくれる」という感想が届く。

なにより、このカトラリーの存在が、柴田さんと同じように食べることに悩みを抱える人たちの“心の支え”になっていることも忘れてはならない。

「同じ境遇の人が作ったことに、大きな価値を感じてくださる方もいて……。『がんの症状に悩み、不安な日々を過ごすなか、猫舌堂のカトラリーを使うことで一人じゃないんだと思えるようになりました』と、お声をいただきました。一人じゃない。それこそ、私たちが伝えたい“価値”なんです

このような購入者の声に耳を傾けるなかで、猫舌堂は「ピアメイド」という言葉をつくった。ピアメイドとは、同じ境遇の仲間と一緒にデザインすること。このカトラリーこそピアメイドであり、多くの人たちの思いが集結して生み出された。それが今、利用者の心に大きく響いているのだろう。

看護師から起業家になった柴田さんは、これまでの歩みをこう振り返った。

「起業なんて一人じゃできませんでした。応援してくれる仲間たちや家族、会社の皆さん、そして起業に携わってくださった方々……。みんながいたからできたんです。いまは、かつての私のように食べることに悩みを抱える方に、『一人じゃないよ』と伝えたい。『誰かの拠り所』となる場所をつくりたいと思っています」

たくさんの人のエールを受けてたどり着いた起業への道。柴田さんのさらなる挑戦は、「病気で困っている人や悩みを抱える人が集まるカフェ」の実現だ。

「食べることは、社会とのつながりに関係しています。だからこそ、がんの当事者が、同じ境遇の人たちと気兼ねなく話せる場がもっと必要なんです」

コロナ禍の影響もあり、現在、柴田さんは一緒に食事をするオンライン・コミュニティ「おしゃべり庵」を開催している。カフェの開業については、「ビジネスとして成り立たせるためにはまだまだ勉強が必要」という柴田さん。新たな課題もあり、実現に向けて仲間の力を借りながら進めているという。

「第二の実家、みたいなところを作りたいですね。『おかえりー、冷蔵庫にこんなんあるよぉ』『今日はこんな体調だから、こんなの食べたいなぁ』みたいな会話ができるような(笑) 誰でも安心して帰って来られる場所にしたいです」

近い将来、孤独を抱える誰かのために、柴田さんは新たな一歩を踏み出すだろう。

  

~柴田敦巨さんプロフィール~

株式会社猫舌堂 代表取締役/Nekojitadou Inc. CEO

看護師として病院勤務をしていた2014年、耳下腺がん(腺様のう胞がん)に罹患。手術、化学放射線治療の影響で、咀嚼障害・摂食嚥下障害・味覚障害・外見変化など様々なQOLの変化を経験。同じ境遇の仲間達と出逢い、“一人じゃない”と思えたことが、生きる力となり、新たな価値が生まれることを学ぶ。

2020年2月(株)猫舌堂を起業。「生きることは食べること」をコンセプトに、 当事者になって気付けた視点から「ピアメイド(同じ境遇の仲間とデザイン)」という新たな価値で世の中をアップデートすることにチャレンジ中。

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ABOUT US
池田 アユリ
愛知県生まれ、横浜から奈良へ移住。インタビューライターとして年間100人のペースでインタビューをしている。社交ダンスの講師としても活動。noteでは「1000文字エッセイ」や、文章ノウハウを発信しており、誰かを勇気づける文章を目指して、活動の枠を広げている。4人姉妹の長女。シスコン。