マリトッツォをご存じでしょうか。ブリオッシュ生地に生クリームを挟んだお菓子として知られており、近年日本でもブームになったとされています。いやそんなの知ってるし、むしろブームとしては落ち着いた感じじゃない? などと思ったそこのあなたに問いたい、本当にマリトッツォについて熟知しているのか、マリトッツォの気持ちを考えたことがあるのかと。
単なる流行りの食べ物という感覚でマリトッツォをとらえていないでしょうか。それがどう成り立って、どんな意味が込められているかを考えたことはあるでしょうか。たかがお菓子と言えど、それを食べれば自身の血となり肉となるもの、決して無関心でいて良いはずがありません。ティラミス、ナタデココ、タピオカといった日本を熱狂させては通り過ぎて行った数々の食べ物に対し関心を持たず、なんとなく見送っていた日々とは今日で決別していただきたい。今こそマリトッツォの全てを知る時なのです。
マリトッツォとは大きく分けてマリ・トッ・ツォの3部分から成り立っています。
このうちマリとツォは同じブリオッシュ生地であり一対となる形状をしていることから、もともとペアを成して存在していたと考えられてきました。
こうした経緯からマリトッツォという特徴的な名前もマリとツォが訛ってできたものだという見方が全国的に広まり、同時にマリとツォに何らかのものが挟まれていればそれはマリトッツォだというレギュレーションが誕生しました。事実現在もマリトッツォ風○○というそれっぽい何かがそこかしこで生まれ、サンドイッチやハンバーガーの地位を脅かしています。マリトッツォ風シュークリームとか、それはもうただクリームを多めにしたシュークリームだ。
しかしその流れに待ったをかける声が上がり始めました、なんでもかんでもマリトッツォというのはいかがなものか。マリトッツォの特徴の一つでもあるたっぷりのクリーム、この存在感はただマリとツォを繋ぐだけのパーツとは考えにくいというのです。
たしかにその意見も一理あります。そこでさらに詳細を探るべく、もう一段階分解していくことにしました。
なるほど、こうしてみるとさらに視野が広がります。なにも一つのかたちにこだわる必要はありません、同じ食材でもその調理方法や盛り付けによって別の顔がのぞいたりするものです。マリトッツォも例外ではありません、一度分解して再構築することでその本質がみえてくるかもしれません。
驚くべきことに、これまで野菜だと思われていた食べ物の新たな一面の発見に至りました。「マ」の部位を「ト」で挟み込むと言うこれまでと逆転の発想、クリームを包むんじゃない、クリームで包むのだという強い意思すら感じられます。リコピンが含まれる赤いボディとはおさらばだと言わんばかりのクリームサンド、令和というこの時代に新たなトマトの爆誕です。これはトマト、誰が何と言おうとトマトです。
食品という枠すら超え、山陰地方の県が現れました。クリームを増量したうえに「マリ」部分を取り払うオープンスタイルは解放感が感じられ、マリトッツォは自由なんだと実感させてくれます。生地部分が砂丘、白いもやのようなクリーム部分が妖怪を表しているとも推理できそう。名菓トットリ、まるではじめからそうだったかのような堂々たるいでたちです。
その原型を活かしながらデコレーションケーキのようにクリームを乗せた大胆なアレンジ。マリトッツォの上にさらにクリームをマシマシに乗せまくるというラーメン二郎さながらの発想であり、暴力的なまでのカロリーが襲い掛かりますがそこはマリトッツォ、人語を解すハムスターのような愛らしさです。
マリトッツォが持つ驚くべき可能性、拡張性の高さはみなさんも既にお気づきでしょう。より理解を深めるため、ここからさらに掘り進めていきます。そもそもマリトッツォとは一体何なのか、意味も無く食品や県の名称が内在しているとは考えづらく、そこに何らかの関係性や法則性を発見することで暗号が解けるはずです。
関係性といえばこんな話があります。子供の頃に「こんな大人になっているだろうな」などと想像していた人は多いと思いますが、その考え通りになった人は少ないはずです。しかしそれは理想が高すぎたとか努力が足りなかったということではありません。時代の流れと共に環境が変化し、あの頃に存在した世界そのものが変わってしまったのです。将来はおもちゃ屋さんになりたいと考え、そのための勉強だなどと言いながらファミコンをやりまくっていたら母親が激怒、やぐら投げでファミコンごと庭に叩き出されていたあの頃は、ネット通販やダウンロード販売という概念すらありませんでした。時代の進歩が想像を上回ってしまった、つまり当時の自身の能力とは無関係であり、想像と違う未来が来たからといって悲観する必要は全くないのです。
つまり何が言いたいかと言うと、いいトシしたおっさんが夜中にマリトッツォの事を考えながら写真を撮ったりしている現在の状況も悲観する必要は無いし、全然友達がいないことも気にしなくていいし、いいかげん結婚したらと聞いてくる両親にうるさいだまれと逆にやぐら投げを試みることも全く問題ではないのです。いや結婚できるならとっくにしてるわ。
なにしろ私は今マリトッツォの事で頭がいっぱい、結婚だとかそんなことを──
なんということでしょう、ここへきてマリトッツォ内で夫と妻という婚姻関係が成立していることが判明しました。クリーム主体の「ォット」に対し、生地で構成された「ツマ」というバランス関係も偶然の産物とは思えません。
知らず知らずのうちに育まれていた愛の物語、本当に甘いのはそのクリームじゃない、二人の関係なんだという気付いた時、私は感動の涙が止まりませんでした。感動の涙です、決して独り身の自分がクリーム菓子に先を越されたことを悲観しているわけではありません。ホントだってば。
マリトッツォとは夫婦のお菓子である。独自調査により導き出されたこの結論をさっそく誰かに聞かせようと、とりあえず別件で電話をかけてきた姉に話すことにしました。姉のことです、何気なく食べてきたお菓子に隠されたメッセージに気付いた時、少年漫画のように「な、なんだってー!?」とリアクションするに違いありません。
「姉ちゃん知ってるかい、マリトッツォってのは夫婦のお菓子なんだぜ」
「ああ、知ってるよ」
「えっ、まさか姉ちゃんも名前の秘密に気づいたの?」
「秘密かどうかは知らないけど、男の人が妻に送った習慣からその名前になったんでしょ?」
「えっ、そうなの?」
「えっ?」
「えっ?」
調べてみるとどうやらマリトッツォという名前は、このお菓子が男性から婚約者の女性に贈られ、プレゼントされた花嫁たちは贈った人を「夫(マリート)」の俗称である「マリトッツォ」と呼んでいたことに由来していることがわかりました。
過程は違ったが結論は合っていたという奇跡がここにある。そう、それは関係性を超越し、予想だにしない未来が来るように。私の推理は時代や国境を越え、やぐら投げの勢いで正しい結論へとぶち込まれたのです。
一昨年第二子を出産した姉は現在も母親としてがんばっている、次に会う時はマリトッツォを手土産に持って行こう。マリトッツォは母親のお菓子でもあるから。