本当はつらいFIRE達成

どエンド君_3アイキャッチ

 

 5時間42分。

 これが何の時間かというと、先の1ヶ月間にこまかく記録してみたぼくの労働時間だ。ギュギュギュっと圧縮すると、いよいよ1日分にまで減ってしまった。


 ぼくの仕事は不動産投資で、つまりは大家さんだ。銀行から借りたお金でアパートを買い、そのアパートの入居者からいただくお家賃で、借金のローンを返済して、修繕をしたり、税金を払ったりして、最後に幾ばくか残るお金で日々を暮らしている。

 入居者のクレーム対応やお家賃の集金・滞納の督促、アパートの清掃、決算申告などの業務はすべて外注している。投資家として自分がやらなくてもいい仕事はなるべくプロに任せることにしているうち、どんどんやることがなくなって、自分にしかできない仕事なんて世の中にないんだ…という悲しい事実に気が付いてしまった。

 だけどいまでこそ勤労の義務を放棄しているけれど、30歳を過ぎるくらいまでは額に汗して、まるで別人のように過労死ラインぶっちぎりで働いていた。当時はガラケーの仕事をしていて、とりわけモバイル広告の仕事が楽しかった。

 プロモーションを頼まれるのはまだ世の中にないものばかり。発売前のお菓子の試食、公開前の映画の試写、タイアップで売り出されるアーティストの新曲データ。ちょっとだけ未来の世界を見ることができるようで刺激的な毎日だった。

 ろくに休日も取れず、精神的にも肉体的にもハードな生活だったけれど、仕事が楽しくてたまらなかった。モバイル広告業界がバブっていて報酬もよかった。リタイアしよう!とか、仕事をやめたいだなんて一ミリも考えたことはなかった。

 ところがモバイルマーケットの主戦場がガラケーからスマホに移るにつれて、うまくシフトできず、だんだん広告の依頼が減ってゆき、気が付いたら2~3年かけてゆっくりと失業してしまった。ジョブズがにくい。

 

 それからというもの、10年以上も不動産投資によるリタイア生活をしている。早期に引退して、投資などで得られる不労所得で暮らしていく。いま流行りの”FIRE”みたいな人生に、目指してもいないのに迷い込んでしまった。

 リタイア生活10年を振り返ってみれば、これからは投資一本で食っていこうと不動産投資の世界に飛び込んで、右往左往しながら物件を買い漁っていたリタイア当初の数年は大変だったけれど、いま思えば気持ちが充実していた気がする。
 だんだん不動産投資がルーチンワークになって時間にも余裕ができてくると、心のスキマにつらさが忍び込んできた。いまさらなんだけど、もしかしてなんだけど、リタイアするって、本当はつらいことなんじゃないだろうか?

 まず、リタイア生活はさみしい。仕事をしていないと社会との触れ合いが極端に減るので、さみしい。さみしいです!

 一緒に喜んでくれたり、愚痴を言い合う同僚はいない。儲かってもひとり。損をしてもひとり。他人と会話できる機会と言えば…アパートの管理会社との世間話、投資信託の営業、ワンルームマンションの営業、コピー機の営業、宅配ボックスの営業、外壁塗装の営業、アパート建築の営業、区分所有オフィスの営業、ワンチャン安く物件をもぎ取ろうとするランドネットからの電話、そんな手合いとしか社会との触れ合いがなくなる。だんだんコミュニケーション能力は衰え、疑い深くなり、対人ストレスに極端に弱くなる。
 そんなわけで、決して自分に怒ったり冷たくしたりしないアパート管理会社の担当者を捕まえて、何度も同じ昔話をしたり、さっきワイドショーで見聞きしたような話をしてしまう。どうしても自分自身の生活に変化や発見がないので、申し訳ないけど新しい話や面白い話はできない。

 よく管理会社の人がツイッターなんかで「大家や地主が用もないのにつまらない世間話をしにやって来て、こっちは忙しいのに困る!」とぼやいているけれど、福祉みたいなものだと思って耐えてください。なんせ我々はさみしいのだ。

 そして、リタイア生活はむなしい。自分が額に汗して働くわけでなく、土地や建物といった資本に働かせる。金持ち父さんでいうところのE(労働者)クワドラントからI(投資家)クワドラントへ!
 それはいいんだけど、自ら手を動かさなくてもいいということは、現場で働いていた時に感じていた、仕事のやりがいや達成感みたいなものも同時に消えてしまう。
 キラキラしたSクラスビルでスーツを着て会議をしたい。ランチミーティングをしたい。新卒の部下に相談されたい。たまには深夜まで残業して夜景の一部になりたい。タクシーの中で車酔いしながら企画書を作りたい。クライアントに「どエンドさんじゃなければ今回は出来ませんでした」とお礼を言われたい。仕事を通じてありがとうを集めたい。あんなのワタミ会長の妄言だと思ってたけど、欲しいよ。ありがとう。ありがとうだけじゃ暮らせないけど、お金だけでも人は満足できない。

 いよいよむなしさが極まると、M&Aサイトで数百万円で売りに出されている赤字の飲食店などをみて、これで仕事のやりがいと同僚がまとめて買えるのではないか?と妄想したりしてふと我に返る。心を強くもたないとお金が減るとわかってる会社を買いそうになる。

 

 最後にリタイア生活は不安だ。不動産投資というのは、昨日と同じ今日、今日と同じ明日が続いていく…という前提で行う投資で、つまり安定した社会がずっと続く方に賭ける博打ともいえる。
 いきなり大地震が首都圏を襲ったり、原発が爆発して人口大移動が起こったり、ハイパーインフレが起こったり、大恐慌で失業者が街にあふれるようなことは想定していない。なにか市況や環境に大きな変化が起こって、今の投資手法がいきなり通じなくなってしまうのではないかという漠然とした不安がいつも心のどこかにひっかかっている。
 しかも何年もリタイアしているうち、労働市場における自分はポンコツ化して、使い物にならなくなっているのだ。ZOOMとかチームス?使ったことがない。いまは秀丸エディターでこれを書いてる。そんなタイムマシンで四半世紀前から来たような男が、空白10年超の履歴書を首にぶら下げて行って、今さらどこの誰が雇ってくれるというのだろう。自分一人の力でもう生きていけない。これでは、土地や建物を働かせているのか、土地や建物に生かされているのかわからない。
 よくFIRE生活の指南本ではアメリカ株のインデックス投資などが推奨されているけれど、過去の値上がりや配当が未来永劫ずっと続く保証なんてどこにもないのだ。まるでバックミラーをみて運転してるようなものだと思う。引き返せないくらい進んできた道が、ある日、行き止まりだとわかったらどうするのだろう。不安でたまらない。もう不安でたまらないから、今日はこれからアパート管理会社に行って愚痴を聞いてもらおうと思う。