お坊さんに会って、話してきた。

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2回目の寄稿となる。

前回書かせて頂いた「言葉は人を連れてゆく」は、存分にビビった。

そもそも無名のおっさんが書く記事を読んでくれる稀有な人など本当にいるのだろうかという不安の中、高円寺の外れにある宇宙ステーションで、打合せ段階から応援してくれるコスモ・オナンだけを信じた。

おかげさまで多くの方に読んで頂き、何より本人自身が「書く事」によって「伝わる事」を実感した。

嬉しかったのは、泰延さんの「読みたいことを、書けばいい。」を買って読みましたというお話や、敬文さんの本をずっと探していたのだけど、最近ようやく見つけました等、聞いているだけでこちらも嬉しくなるお話も頂いた。

あれから約半年。
敬愛する田中泰延さんから、新しい著書が出た。

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会って、話すこと。(ダイヤモンド社)

読みたいことを、書けばいい。と同様、極めてシンプルなデザインの踏襲で、誠に勝手ながら、泰延さんらしいと思った。

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なぜなら、泰延さんご自身はTwitterでも講演でもオンライン上でも、ご本人自身を常に『何者でも無い自分』という立ち位置に身を置かれ、話をされていると感じているからだ。

何者かになりたい、何者かでありたいという欲望は、人の常だ。

書店に並ぶ多くの書物を見れば、ド派手な色使いや目を引く言葉が並ぶが、そのせいで却ってこの本のシンプルさが際立つ。

本のデザインそのものが『何者であるか』という要素を抜かれていると感じた。

常日頃から『何者でもない自分』でいられるかというのは、日常生活に於いても、大きな影響を及ぼす。

幸い、僕は旅に出る機会が多いのだけれど、旅をする上でもこれは大切な要素だと感じていて、この本は対話以外の自分もどうあるべきか、又、どうあらざるべきかという見方まで出来てしまうと思った。

少ない僕の経験からしてもこれらは海外でも起きる事で、例えば

「I like steak so much.」(僕はステーキが好きだ。)

と、つっけんどんにいきなり自分の話をしても、会話は発展しない。
何なら「なるほど、それで何を言いたいんだい?」と返される。
ところが、

「These steaks are very popular here, right?」(この辺りではステーキがとても人気だよね?)

こんな感じでフレーズを少し変化させるだけで、話した人にではなく、会話そのものに人が集まってくる。

どんな些細な会話1つをとっても「わたくしを消す」作業が出来るようになると、色んな人々が話しかけてくれる経験を、幾度もしてきた。

前回に引き続き、本の詳細に関しては概ね割愛したい。
なぜなら、読んで感じて頂きたいからだ。

日本には太古から『会って、話すこと。』という概念について、常日頃考えていらっしゃる職業がある。

それはお坊さん達であり、法話である。

Twitter上でフォローさせて頂いているお坊さん達の呟きには、時に背筋が伸びたり、考えさせられたり、救われる言葉がある。

“いつかお会いしましょう”

パソコン上で幾日も前にした約束が社交辞令だと思われるのが嫌になるくらい、面倒な疫病は人々の距離を遠ざけようとした。

2021年10月。
これが一時的ではないと願いたいが、驚くほどウイルスは激減した。
今しかない。

というわけで、僕はお会いしたかった御二方の元に向かった。

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出発の朝、首都圏は横殴りの雨。
ナビは目的地まで、ほぼ500㎞だと教えてくれた。
久しぶりになる遠距離ドライブに、少し気が急く。

いつもなら近場の店で間に合わせるアイスコーヒーも、氷が溶けない様、旅行用のマグカップを用意する。

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最寄りのスタンドで給油ついでにタイヤの空気圧を測る。
ここ数日で一気に下がった気温のせいで、思っていた以上にタイヤ圧が落ちていた。

旅先を想像する時、多くの人は景色を「晴れモード」にしている事が多い。
そのイメージが雨で変わったらどんな景色になるのかなと想像しながら、本格的に渋滞する前の首都高を抜ける。

若い頃に走り慣れた東名高速は、いつの間にかあちらこちらが変わっていた。
新しい第二東名は直線が多くて快適だけど、旅の為ではなく、移動の為にあると思った。

景色の見えない長いトンネルを抜けると、静岡県を過ぎた辺りで、雨雲の終わりが見えた。

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1つ目の目的地になる滋賀県・近江八幡市は、滋賀県中部、琵琶湖東岸に位置する街で、鈴鹿山脈が見渡せる美しいエリアだ。

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名神高速・竜王ICを降りると、長く居座った高速のせいで、一般道の40㎞制限がまるで止まっているかのように錯覚した。
少し北へ進むと、いつの間にかナビは残り100mを表示していた。

運転席からようやく見えたお寺の入口から、優しく手を振る住職の姿があった。

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近江八幡市・遠慶寺(おんきょうじ)にいらっしゃる赤松崇麿さんは、真宗大谷派のご住職で、以前からTwitter上でのみ交流があった。

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専ら、最近はTwitterでも赤松さんの偽物が出回っているという噂があったので調査してみたのだが、それはなんと何度かお会いした事のある人だった。

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こちらの方がご本人よりも本物感が出てしまっているが、こちらは『会って、話すこと。』の共著者である今野良介さんであり、おそらく赤松さんを崇拝するあまり編集されたコラだと思われるが、どうか皆さん静かに見守ってあげて欲しい。

初めてお会いする赤松さんは、スラっとしていて背丈のある、ハンサムな人だった。
偶然にも僕と同年で、住職になられる以前は東京でグラフィックデザイナーのお仕事をされていたそうだ。

尚、現在も赤松さんは宗派に関連する印刷物のデザイン等も手掛けられていて、住職兼グラフィックデザイナーという二足の草鞋を履いている。
お寺にて拝見した資料は、緻密な仕事をされるプロの痕跡が幾つも見えた。

僕は以前から、お寺とは何か、お寺では何をしているのか、住職とは何をするお仕事なのかという事に興味があり、そんな個人の興味に対し、今回こちらが訪問させて頂く事を快くご承諾頂いた。

静寂な奥の間に通されると、赤松さんは事前に詳細な資料を揃えて頂いていた。
それだけでも恐縮だったのだけど、1つ1つ丁寧に説明をして頂いた。
赤松さんから発せられる言葉の節々から、優しさや細やかさを感じる事が出来て、それだけも日々、多くの修練を積まれてきたのだろうと感じた。

一通りの説明が終わり、お昼にしましょうと、近くにある日牟禮八幡宮の、“たねや”さんに案内して頂いた。

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有名な赤こんにゃくを混ぜ込んだおこわや、近江のおばんざいはとても美味しかった。

お会いした事で感じた赤松さんは、廉潔な人である。
人は一定の時間会話をしていると、どうしてもいい加減な言葉の1つや2つがあっても当たり前の事だと思うのだけど、選択される言葉はどれも、そこに責任があった。

とはいえ住職と別モードになれば、僕と同年。
くだらない話や笑い話まで、たくさんの話をした。

そんな赤松さんとも、別れの時間が迫る。

お寺まで戻る車の中、僕は赤松さんご自身が感じる『会って、話すこと。』とは、一体何でしょうかとお訊きした。

「都内でグラフィックデザイナーだった頃、CMプランナーさんと仕事をする機会がよくありました。今でも何人か思い浮かびますが、打合せ段階からボケを重ねるような会話が多く、若かった事もあり、纏まりそうで纏まらない様な会話がわりと苦手だったんですよ(笑)
ただ、著書を読んでわかったのは、ボケを重ねていく事は、知識をベースにしていないと出来ないという事に、今になって気づきました」

「そして僕は今まで、会って話すという事ができていなかったんです。「会って」いる実感を言葉にすることが疎かだったというか、うまく言葉にならないですけど。これは仏教においても根幹的な事柄だろうと思うのですが、なかなか簡単には説明出来ません。
釈尊もきっと、苦労したはずです(笑)
ですがこの本は仏教的に捉えても、感動しました。この対話の概念は、今後私が住職を続けていく事に、きっと大きな影響があると思います」

真剣な眼差しで話してくれる赤松さんの横顔に、静かな熱を感じた。
過ごした時間は短かったのに、別れ際が名残惜しい。

貴重なお時間を潰してまでご対応してくださったお礼を伝えると、赤松さんからは何度も、お会い出来て良かったと言って頂けた事が、嬉しかった。

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*笑え田所。

また必ず、会って話しましょう。

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次の目的地である三重県・四日市市は、赤松さんのいる近江八幡市から、クルマで1時間弱あれば到着する。
美しい夕陽が琵琶湖を照らす中、僕は新名神を南進した。

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四日市のイメージは当時に習った教科書のせいで、湾岸エリアにある広大な工業地帯が浮かぶけど、市内に入ると、そこには噓の様に閑静な住宅地があった。
近江から日暮れには四日市に入り、市内のホテルへ泊まった。

翌日。
僕は僧侶・本田さんにお会いするため、事前に案内されたお寺へと向かう。

本田さんは赤松さんと同じ浄土真宗大谷派の僧侶で、こちらも元々はTwitter上でお知り合いになった人だ。
普段呟かれるツイートの“幅”は広く、機知に富んでいる。

いやこれは吹く。

そして大体、気がつくと99%女性フォロワーさんと仲良くなっている。
自らをエロアカウントと称しつつも、僧侶であり、ダンディな風貌にミステリアスな魅力を感じる人も多いのではと思う。

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塵1つ無いのではないかと思うほど綺麗に掃かれた境内から、本田さんが笑顔で出てきた。
ようやくお会いできた嬉しさで、少し照れくささすらあった。

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こちらが予定より少し早く着いてしまった事もあり、準備するからと境内で立っていると、敷地内には愛犬「くう」がこちらを見ている。
本田さん曰く、人には慣れているからとの事だったので、少し戯れた。

お寺などで飼われている犬は大人しく、いい子なんだろう。
などと感心していたのだが、くうは見かけによらずぐいぐいきた。

彼は僕が近づくと、ただただケツを掻いてくれとねだる。

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僕は僕でくうの顔がみたいので、ちょっと方向を変えようとすると

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めっちゃ噛む。
アマガミなので痛くは無いのだけど、ほとんど手ごと飲んでる。

慌てて離れると、彼はまたケツを向け要求する。

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一通りご満悦の様子だったので、今度こそはとくうを前に向ける。

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流石は本田さんの愛犬である。

暫くして広い寺院の中に通され、部屋に入ると、本田さんは真っ先に縁側を開け放ち、どんな景色がここにあって、どんな風にお寺が建ったのかを教えてくれた。

「赤松さんの事やから、大体お寺の話は聞いとるやろ?」

赤松さんのご説明、すごかったですと頷くと、

「それなら、もう俺の話す事は何も無い」

とだけ言い、お寺の話よりは旅の話、色んな人の話、住んでいる場所の話をした。
不思議だけど、最初から本田さんとはそんな会話になるんだろうなと思っていた。

何年振りかに感じる、時間の進み方。

本田さんという人は、いつも輪郭が見えない。
いつもそこに、わたくしが無いのである。

よく話が飛び、飛ぶだけ飛んで、いつの間にか終わる。
ふわっと浮かんでは静かに着地する、羽毛の様な感覚があった。

「トンテキ、食べようぜ」

いつの間にか、お昼になっていた。
せっかくだから、僕のクルマで行きたいという嬉しいリクエストを頂いた。

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これがトンテキ…
無限にご飯が食べられるんじゃないかという美味しさだった。

食事風景

 

テーブルの反対には、めっちゃエンジョイしてる僧侶。

ここでも色んな会話をしたはずなのだけど、記憶に残っているのはただただ、楽しかった事だけだ。

刻々と、帰る時間が迫って来る。

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僕はここでも、本田さんご自身が感じる『会って、話すこと。』とは、一体何でしょうか、とお訊きした。

本田さんは少しだけ考え、言った。

「うーん…その人の外を見る事やな。その人そのものじゃなくて、その周りにあるモノを見る。それだけ。」

本田さんは、この本に書かれている事を、お会いしてから別れるまで自然体でされていた。
喫茶店で美味しいコーヒーゼリーを食べながら、僕なりにフワッとしたイメージが浮かび上がった。

素敵な人達というのは、別れた後、その人のイメージが出来ない事。

なのではないかと感じた。

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*田所笑えって

「道中、きいつけてな」

「ありがとうございます。また、お会いしましょう」

差し出してくれた手をがっちりと握手し、帰路へとついた。

ーーーおまけーーー

帰宅後、本田さんから頂いた手土産を開けると、そこにはフロランタンがあった。

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渡された際、本田さんから言われた言葉を思い出す。

「これワシ作ったんや」

今年一番の、わし何屋やねんであった。