伝説の天然パーマ

斉藤ナミさんサムネ2

 

髪を切りました。自分で。

ダックカールで髪を全体で5つにわけてブロッキングし、それぞれのブロックの髪をコームで引き出し、毛先を5センチずつ切っていく。

肩下10センチくらいのロングヘアーなので、それくらい切ったって全体の印象は対して変わらないけれど、傷んだ毛先を一掃できたので、本人としてはだいぶ気持ちがいい。


わたしは昔、美容師でした。16歳で家庭の事情で高校を中退することになり、それからすぐに美容院で働きだしました。初めはアシスタントでシャンプーから。後に定時制の専門学校に通い、美容師免許も取り、スタイリストになりました。


美容師になった理由はただ一つ。わたしは、伝説の天然パーマだったから。

 

いやいや。そんじょそこらの天パと一緒にしてもらっちゃ困ります。

母はチリチリの縮毛。細いけど本数は大量。父はきつめのウェーブ。そして、太くて強くて大量。

そんな両親から産まれしわたし。100年に1人の神に選ばれし逸材。伝説の天パ界のサラブレッドです。

根元からグルッグルの形状。太くて強くて、そして超大量。きっとこれを読んでくださってる皆さんの、誰よりもすごいと思います。

 

発生したのは、忘れもしない小学5年生の夏の事。

その夏、我が家は家庭の事情で夏休みの間に引っ越しており、弟とわたしは夏休み明けの9月から新しい学校に転校するというタイミングでした。

子供のわたしにとって転校は一大イベント。ここは一つ、人生初のショートヘアに挑戦して、身も心も心機一転!新しい土地で、新しい生活を頑張ろうじゃないか!そう思ってバッサリいってしまったのが悲劇の始まりでした。


意気揚々と美容室で「バッサリ、ショートにしてください」と、注文。

「夏休みだもんね!イメチェンだね!了解!」

一人の女の子の人生を大きく変えることになるとも知らず、能天気な美容師は、わたしが指を差したカタログの注文通りにカットし、ショートヘアにしてくれました。


ーーついに、その時がきた。

いにしえより封印されし、伝説の呪いが、今、解き放たれた。

 

第2次成長期のホルモン分泌のタイミングと、腰まであった髪がショートカットにまでバッサリ切られ、重力がぐんと軽くなったことが重なって、秘めたる力が一気に爆発しました。(それまでは、ウネウネしてはいたものの、通常範囲の天パのレベル)


担当の美容師の様子がおかしい。それまでおしゃべりで陽気だった美容師さんが、急に寡黙な職人へと変化し、切り上がったわたしの髪を何やら必死にコームでとかしている?何回も何回も何回も何回もとかしている。

 

え?何に納得いかない顔をしているんですか?

あれ?

なんか…頭、もっこりしてない?(濡れてるから、まだそんな程度)

 

「…じゃ、じゃあ一旦流しますね〜」

切った髪をシャンプー台で洗い流し、もう一度、席に戻ってくる。

担当の美容師ではなく、シャンプーをしてくれたアシスタントの人がドライヤーで乾かし始める。

 

モリモリ。


…モリモリモリモリモリモリ

 

…は?

 

鏡に映っていたわたしがこちら。

斉藤ナミさんサムネ2

…耳かきかな?


えっと、ショートヘアってこんなんだっけ?


後ろの方にいる他のスタッフたちも、わたしを見て何やらざわざわしている。

アシスタントの女の子も、みるみる膨らむわたしの頭を見て焦っている。なんとか、なんとか小さく!と、必死でブラシで押さえ込もうとしている。

ぐりぐりぐりー!痛い痛い痛い!

そんなあおっちょろい若いアシスタントが、どれだけブラシと熱風で押さえ込もうと、どれだけ上から極強ワックスで押さえつけようと、まさに今この世に爆誕したばかりの、伝説の天パーサラブレッド、解放されし我が縮毛たちのフレッシュなエネルギーにかなうはずもなく。

戻ってきて顔が若干あおく見える担当美容師が、いくら「…も、もうちょっとここから軽くしていきますね〜、ははは…」と、鬼スキバサミを入れようと、逆に軽くなって余計に膨らむという逆効果。サラブレッドたる威厳(毛量)は、輝きをますばかり。

 

堂々たるボリュームと迫力のまま、その美容院をあとにしました。

 

もう、残りの夏休みは地獄でした。

地獄なんて陳腐な言葉では片付けられない絶望感。

転校初日の挨拶では、やはり顔を上げられませんでした。

今でもありありと思い出せる。みんなの目線が、わたしの髪に集中してザワザワしてる景色。

 

この日から毎日、常に髪の毛のことばかり考える日々を過ごしました。もう24時間髪の毛の状態ばかりが気になって、他人の全ての反応が髪の毛に対してのように感じる。どんなに楽しい時でも髪が気になるし、いろんな悲しいことは大体、髪のせい。もう髪がわたしの本体なんじゃないか、ってほどに心が髪にありました。

話してる相手はみんな、わたしの目じゃなく髪を見てるように思えるし、好きな男子の前を通る時は、今だけ少しでも髪が小さくなれ!って祈っていました。だいたい、髪に対して「小さい」とか、形容詞おかしいでしょ。でもそうなんです。まさにその形容詞が相応しく、わたしの祈りはいつも「髪よ、小さくなれ」でした。


小学校5年生。そしてついでに貧乏なので、縮毛矯正だとか、アイロンで伸ばすだとか、そういった事もできませんでした。(というか、今ほど縮毛矯正の技術も情報もなく、サロンレベルの高温度が出せるアイロンもあまり身近には出回っていませんでした。)

考えに考えて、11歳のわたしにできた事といえば、なるべく髪を伸ばして、重さで少しでも、なんとか少しでも大きさを抑えて、三つ編みでギュッとして、膨らんだところはピンでびっしり留め、仕上げにケープでガチガチに固める事でした。

スプレーでガチガチにするので、ちょっと頭をポリポリ掻こうもんなら、コーティングが剥がれて白い粉がふくんです。

ウネウネのびっちりセンター分けお下げ髪、お粉ふいてるんです。梅雨時は蒸れて膨らみがちなので、若干お粉多めです。お粉多めで喜ばれるのは洋菓子だけだ。ばかやろう。


小学校でのあだ名は「もじゃ」「ちり」「カンボジア」


思春期をそんな髪で過ごしてみてください。そりゃあメンヘラにもなりましょうよ。そんな髪でどうやって明るい生活を送れって言うんでしょうか?どうやったってうつむいてしまうし、自分に自信なんてつかないし、友達だって作れない。どんどんどんどん暗くなっていきました。

わたしのメンヘラは、この伝説の天パのせいと言っても過言では無いかもしれません。

 

そんなわたしも中学生になる頃、よう〜やく、縮毛矯正というものを知り、どんなチリチリもモリモリも問答無用でサラサラヘアーになる、という魔法のような情報を手に入れるわけです。

一生このまま伝説の天パとして生きていくのがサラブレッドの宿命だろう、と人生に絶望していたわたしは、それを最後の希望と信じ、なけなしのお小遣いやお年玉を貯め、ついに、高校デビュー直前の春休み、初めての縮毛矯正をかけました。


世界が一変しました。

 

初めてのサラサラヘアー。頭ってなんて軽いんだ!わたしってなんて可愛かったんだ!何もかもが輝いてみえ、気持ちも明るくなり、中学生活でずっと片思いしていた彼にすぐ電話し、春休みのうちに何度もデートをしました。


魔法だ…!縮毛矯正って魔法だ!!

こんな風に、人の人生をハサミ一つで一変させてしまう美容師ってなんてすごいんだ!!


そして、驚くほど単純に、素直に、「美容師にオレはなるッ!!」となったわけでした。

8年間、美容師として働きました。その後、まったく関係ない職業についてしまいましたが、わたしは美容師であったその期間、ブローやアイロン、縮毛矯正には並々ならぬ情熱を注ぎ、たくさんの天パの民たちのメンヘラを防いできたと自負しています。

 

今ではわたしの髪も、子供を産んでホルモンバランスが変わったり、歳を重ねたことで、昔とは比べものにならないほどに扱いやすくなりました。

それでも、思春期のわたしの心を完全に支配し、その後の人生にも大きく影響を及ぼした、伝説の元サラブレッドのこの髪は、わたしにとってはまだまだ大きな存在です。


いつか、おばあさんになる頃には、この剛毛も細くなってしまったり、ウネウネもおさまったり、禿げてなくなってしまったりするのかな。そしたらちょっとは寂しく思ったりもするのかな。

そんなことを思いながら、セルフカットした髪の毛を片付ける午後でした。

 

ーおしまいー