ずっと好きなものがある。それが「バファローズ」――。
今年11月、オリックス・バファローズは25年ぶりに日本シリーズ進出を決めた。
わたしはオリックス・ブルーウェーブ時代からのファンではなく、大阪近鉄バファローズ時代からのファンだ。オリックス・ブルウェーブが日本シリーズに進出したのは1996年だが、大阪近鉄バファローズは2001年にパ・リーグを優勝し、日本シリーズ進出を果たしている。
なので、正直25年ぶりの日本シリーズではなく、2001年の優勝以来、20年ぶりの日本シリーズなのだけど。久しぶりなのは間違いないので、どっちにしろ喜んだ。
オリックスは基本、パ・リーグで下位に位置するBクラス。去年は最下位の6位。正直、いつも5位か6位だった。4位だと喜んだくらいだ。
目次
父の愛情と母の優しさ
生まれてすぐに死にかけたり、日光アレルギーで外に長時間出れなかった幼稚園児のわたしは、基本引きこもって、家でぬいぐるみ遊びや絵を描いていた。
そんなわたしを見て父は「このままではこの子はスポーツが嫌いになる」と思ったらしい。そこで、「ナイターなら夜だから大丈夫だろう」と野球観戦に連れて行ってくれた。それが、近鉄バファローズの試合だった。
兄と一緒に母に手を引かれて藤井寺球場に行く。仕事帰りの父も合流する。正直、野球はまったく分からない。なんせ幼稚園児。
それでも、外に連れて行ってもらえるだけで、本当に嬉しかった。
小学生だった兄はグラブを持って、ファールボールを取りにあっちへこっちへ走り回る。当時は球場に人が少なく(いつも少ないけど…)、ファールボールを取ると、スタッフのお兄さんが引き換えにピンバッジをくれた。
抽選会もあって、岡本太郎がデザインした近鉄マークの布が当たった時は、母がその布を使って給食袋を作ってくれた。(ランドセルに引っ掛けるアレ)
ルールがまったく分からないわたしはイタチが走り回る球場で「ラッキーセブン」の7回になるとOSK(※)のお姉さんが踊るのを見て楽しんでいた。
※OSK日本歌劇団。宝塚歌劇団・松竹歌劇団(SKD)と並ぶ三大少女歌劇のひとつ。
そして、お姉さんが踊るのを見ると帰宅する。最後まで見ると遅くなるし、人も多いから(いや、少ないけど)。帰り道で寝てしまうかもしれない兄とわたしを両親が抱えて帰るのは大変だったので、”ラッキーセブンで帰宅”は我が家のルールだった。
兄はゴネて泣いて、わたしは母に抱っこをねだった。ナイターは父の愛情、ラッキーセブンで帰るのは母の優しさだった。
あれから大きくなった、でも猛牛愛は変わらない
その後も野球のルールは分からないままだったけど、バファローズの選手は好きだった。
ここぞの場面で打ってくれる村上隆行選手がかっこよくて好きだった。
1990年には、ドラフト1位で野茂英雄投手が入団した。入団当初から「トルネード投法」が話題になった。
大学生になって、大阪ドーム(今の京セラドーム)に1人で行くようになった。友達を誘ったら、友達がめちゃくちゃハマった。mixiで野球好き女子のコミュニティを作って、飲み会をすることもあった。
2001年、リーグ優勝をした。泣いた。ヤクルトスワローズと日本シリーズを戦って、1勝4敗で負けた。古田敦也捕手に完全に押さえ込まれた。
2004年、年間40億円超の赤字を抱えていた大阪近鉄バファローズはオリックス・ブルーウェーブに吸収合併され、オリックス・バファローズが誕生した。
「2リーグ制から1リーグ制になるかも」
「パ・リーグだけ5球団になるのでは?」
当時はこんな噂もあった。
新球団に、楽天の社長・三木谷さんとライブドアの社長(当時)・ホリエモンが名乗りを上げ、結局東北を拠点とした三木谷さんの楽天イーグルスが誕生した。
大阪近鉄バファローズの選手たちは、オリックス・バファローズと東北楽天イーグルスの2つに分かれた。一軍がオリックスで、二軍がイーグルス、なんて言われたこともあった。
近鉄のエースだった岩隈久志投手は、イーグルスに行った。オリックスに残って欲しかった。
正直、正義の味方がイーグルスで、悪者がオリックスだった。
2014年、優勝まであと一歩…崩れた伊藤光を見ながらヤケ酒した
オリックスがソフトバンクと優勝争いをしていた、2014年。いつもオリックスはBクラスだらけだったので、優勝戦線への参加は誰もが予想しなかった。
優勝の行方はもつれまくり、決まったのは2014年10月2日。ソフトバンクとの最終戦だった。
「久しぶりに優勝するかもしれない」
その期待にわたしの心は踊った。でも、最終戦でそれは砕けた。負けるのも、圧倒的な負けだったら諦めがついたと思う。けれど、延長10回サヨナラ負けだった。
キャッチャーの伊藤光は、ホームベース上で崩れ落ちた。その姿を見て泣いた。泣きながら飲んだ720mlの酒瓶は、一瞬で空っぽになった。
ちなみに、期待をした2015年はめちゃくちゃ弱かった。
そして2021年。快挙が続く
「あけましておめでとう」
毎年2月、プロ野球はキャンプインをする。球春とも呼ばれ、ファンの間では新年のあいさつが飛び交う。
「あの選手が調子いい」だの、「ルーキーのピッチングがすごい」だの、キャンプ中はファンにとって一番優勝の期待が高まる時だ。しかしいざシーズンが始まると、最多勝投手の山本由伸がいても、首位打者の吉田正尚がいても、オリックスは最下位だった。
「なんで最下位なんだろう?」
毎年そう思いながらも、いつも変わらず応援をしていた。
「今年こそオリックスが優勝だ!」
口ではそう言いながら、「どうせソフトバンクが優勝だろ」なんて思ってた。
迎えた2021年3月の開幕戦は、埼玉西武ライオンズ戦。
わたしはライオンズの本拠地・メットライフドームに見に行った。先発はエース山本由伸。勝てるだろうと期待していたが、エラーが絡んで負けた。
「あぁ、いつものオリックスだ……」。そう思いながら1塁内野で試合を見ていた。
でも違った。そのオリックスが、6月に交流戦で優勝した。2010年以来、11年ぶりの交流戦優勝だ。6月には11連勝もした。2014年以来の首位になった。ひょっとしたらひょっとするかも……?
9月に首位陥落、今年もダメかと思った
しかし夏の疲れもあってか、9月に首位陥落。
10月、主砲の吉田正尚が骨折し、正直終わったと思った。今年はロッテが行く、そう思った。先発投手陣は「山本由伸以外勝てないんじゃね?」ってくらい勝ちがつかなかった。
でも、「全員で勝つ」のスローガンの下、オリックスは勝ち進んだ。いつもなら試合の後半は打たれて負けていたのに、7回でも8回でも9回でも点が入る。
しかし、マジックは2位のロッテに点灯。優勝は夢のまた夢・・・いやいや、今年こそ!!!
山本由伸は球団新記録となる15連勝で18勝目の完封勝利を飾った。高卒2年目の宮城大弥や紅林弘太郎といった若手も出てきた。
でも、マジックはずっとロッテ。1敗もできない。そんな緊張感の中、ファンは期待し続けた。
10月27日、オリックスは25年ぶりに優勝した
そして、2021年10月27日。ロッテが敗れて、オリックスは25年ぶりにパ・リーグ優勝を果たす。
もうなんというか、嬉しすぎて酒飲んだ。飲みまくった。泣いた。泣きすぎて目が腫れた。
チームが胴上げに慣れてなさすぎて、監督・コーチ・選手と色んな人を胴上げしていた。ぎこちない胴上げにハラハラしながら、一緒に喜んだ。ビールかけだって、ぎこちなかったに違いない。
11月10日にはクライマックスシリーズも見に行った。チケットを2枚取っていたので、数年ぶりの友達にLINEして誘ったら、会社を早退して来てくれた。
試合は、1回裏に取った1点をエース山本由伸が守り切った。胃が痛すぎて、3杯飲んだプレモルの味を覚えていない。ただただ、嬉しかった。ホームでの勝利の味は格別だった。
日本シリーズはセ・リーグ覇者の東京ヤクルトスワローズと戦い、2勝4敗で日本一を逃した。経験値の差が出たのかもしれない。
でもオリックスは「WE ARE CHALLENGERS」と掲げていた通り、チャンピオンではなく立派なチャレンジャーだったと思う。
来年も、わたしは猛牛を愛し続ける。
38年応援していても、ちっとも飽きることがない。
(編集:新妻翔)