『売りたくない売主さんの話』

どエンド君サムネ

騒々しくセミが鳴く真夏のことだった。
大事な土地契約の日だ。きちんとした格好をしようと、汗をかきながらもジャケットを羽織って契約会場である不動産屋に入った。そこにはぼくに物件情報をくれたブローカーA、その先でこの話を聞いてAに伝えたブローカーB、重説にハンコを押す仲介C、売主さんにつながっているというブローカーD。これから手に入る仲介手数料を分け合おうとする、有象無象で海千山千で千三つの男たちがすでに集まっていた。
ところが約束の時間になっても肝心の売主のお爺さんが来ない。携帯を持って席を立ったブローカーDが店の外であわてて何やら話している。
どうやら、売主のお爺さんは家を出たけれど、あまりに暑くて腹が立ってきたので途中で自宅に帰ってしまったらしい。めちゃくちゃだ。大人のやることじゃない。とはいえ、売主さんが機嫌を直さないことには全員仕事にならないので、一同相談してお爺さんの自宅に向かってタクシーを連ねて、すぐ近所のミスドで契約をすることになった。

ミスドでも売主のお爺さんはもちろん謝ることなんかなく言いたい放題だ。居並ぶブローカーたちに「この中で大学を出てるやつはいるか?」と言い放ち、全員がアイスコーヒーを前にうつむいた。そうなんだ…。
「不動産屋ってのは学がなくても稼げていい仕事だな。なあ!」ヒートアップするお爺さん。何を言われてもご機嫌を損ねるわけにはいかないから、ブローカーも仲介もみんなヘラヘラと話を合わせている。
「お前も女の子のパンツばっかり覗いてる顔をしてるな。おい。」買主のぼくの方にも弾丸が飛んでくる。ぜんぜんパンツみてないし。なんなんだ。
「ハンコ押さないとだめ?何でキミに手数料払わないといけないのかな?やだなー。」
もしかすると、ずっと保有していた不動産をいよいよ手放すのが嫌だ、お前たちの思うようにさせてたまるか!という気持ちがお爺さんにはあるのかなと思った。

幼稚園が終わって、園児とママたちがおやつのドーナツを食べてる横で、テーブルの真ん中に置かれた手付金1千万円。札束を見てようやくご機嫌を直したお爺さんが太巻きの帯を解いて数えはじめる。「わあ、ママみて。おかねがいっぱい!」「見るんじゃありませんっ。」見ないでほしい。パジャマのお爺さんがお金を数えるところを、着崩れたスーツの集団が囲んで、一体何をしていると思われているのだろう。見ないでほしい。
そうこうしているうち大金を前にしたお爺さんは興奮して具合が悪くなったらしく、家から孫娘を呼び出すと、持ってきた心臓の薬をあわてて飲み始める。ちょっとした地獄だ。そうこうして契約が終わり、ゴルフのパターを杖がわりにして自宅に帰るお爺さんを見送ったのは、契約開始時刻からたっぷり5時間ほどたった頃だった。

株やFXならクリックひとつで済むのに、現物不動産はこうやって取引のコストがいちいち高い。でも、こういう不動産投資をしていると出会える個性的な不動産オーナーや、売主さんの人生を共に過ごした不動産を引き継げるという、ただの投資や商取引とわりきれないところが、どうも困ったことに好きだったりもする。
色々な売主さんがいた。結婚したばかりの若い頃に夫婦で住んでいた思い出の物件だといって、木造で築50年を超えているのに大切に手入れされたアパートを売ってくれたお爺さん。あまりに手入れが行き届いていたので、オーナーがぼくに変わってから掃除がなってないと入居者さんに怒られてしまった。
自分が嫁に来た時から何十年もここで働きづめだったという定食屋を閉店して売ってくれたお婆さん。立派に育った息子さんが契約についてきて見守っている様子をみて、なんとも暖かい気持ちになったりもした。
借金取りに追われて現金で用意した決済代金がその場でぜんぶ消えてなくなったお爺さんもいた。どうやら納税もできなかったみたいで、後から国税からぼくのところまで調査に来てたいへんだった。

不動産を手放すのは身辺整理をするときが多いから、どうしても売主さんはお年寄りが多くなる。取引のたびしみじみ人生を考えてしまう。ぼくもこうやってかき集めた不動産を、いずれお爺さんになった頃にいまの自分みたいな小賢しい投資家を相手に手放すんだろうなと思うと、不動産リレーをしているような不思議な気持ちがすることがある。
そして、その時は人生の最後になってちょっとくらい高く売れたところで意味がないので、お買い得感のある値付けにして、そのかわりに自分がやられたみたいに翻弄してやれと思っている。ミスドで暴れるくそジジイになる日がいまから楽しみだ。

 

(サムネデザイン:コスモオナン)