もしも富士山がおっぱいなら何カップなのか検証してみた

富士山が目の前で雄々しくそびえている。その豪快で美しい姿を見ているだけで、何かが変わる気がした。自分はなんてちっぽけなんだろうと、圧倒的な存在を目の前に僕は思う。日本一の山が放つ雄大な光景を眺めていると、抱えていた悩みの小ささに気付き心がふと軽くなった。しばらく忘れていた穏やかな感情が頭の中に広がり、自然と空へ向かって笑いかけていた。 

大自然に触れればそんな風に人生を変えられると思っていたけれど、そう上手くもいかないのが現実だった。

慌ただしい日常に疲れてしまい少しだけ遠くに行こうと思ったのは5月末。
雄大な景色を見れば何かを変えるきっかけが得られるのではないか。そんな気持ちで向かったのは山梨県・河口湖。日本一の山、富士山を見に行こうと思った。

新宿駅からJR特急富士に揺られ2時間。河口湖駅を出ると駅舎の向こうに早速大きな山がそびえていた。念願の富士山だ。都会のビルの隙間から見ることはあれど、こんなに大きな姿を見たのは初めてだった。

もっと全景を見たい。開けた場所を目指し、駅から十分ほど歩いて河口湖へ向かった。平日の遊覧船はほぼ貸切で、僕が乗り込むとダイヤなど無かったかのようにすぐに出発をした。涼しげな風が頬をくすぐる。湖上をしばらく走ること5分ほど。陸から離れ景色が開けると先ほどよりも雄大な姿で富士山が僕の前へ現れた。

高く、大きくそびえる姿は日本一に相応しかった。これが見たかった。
自分が日々抱えていた悩みの小ささ、見失っていた目標や夢のカタチ、本当にやりたいこと。山頂の霧が晴れていくかのようにそんな思考が自分の中でマグマの如く盛り上がっていく。
そう思っていたのに。

「でっかいおっぱいみたいだな」

富士山を見て僕の頭に浮かんだのは、大きな乳房だった。おおきいふくらみ。日本人の心、和の精神である富士山を、とてつもなく大きなおっぱいだと認識してしまった。
わざわざ富士山を見にきて思うことが「おっぱい」。何しに来たんだ。もう少し真面目な、新しい自分になるヒントや気付きがあるんじゃないのか、こういう時って

もう一度、見つめてみる。空へと伸びる日本一の頂きとそれに続く稜線。
おっぱいだ。やっぱり、おっぱい。美しい女性が仰向けになったボディラインにしか見えなくなってきた。なんなんだ。もっと真面目に自分と向き合えるチャンスだったんじゃないのか。もう一度だけ、目の前の大自然を見つめる。

「あれって何カップくらいかな」

ダメだ。おっぱいへの気持ちが止まらない。決してエッチな想像が沸いたわけではない。ただ純粋にシルエットが女性のボディラインに見えて、仮にそうだったときのカップ数が気になっただけだ。

この情動はもはや覆せない。あの日本一の高さを誇るおっぱいは何カップなんだろう。もしかしたら、あのカップ数を知ることができれば新しい自分を知ることができるんじゃないか。そこにヒントが隠れているんじゃないのか。

だから考えてみることにした。日本一のおっぱいの大きさを。

富士山のカップ数を計算する

問題はどうやってサイズを割り出すかだ。そもそも、おっぱいのカップ数はトップバストとアンダーバストの差で決まる。もっとも高い部分がトップ、膨らみのすぐ下がアンダーとなる。

富士山でいえば標高3775mがトップの地点になることは間違いない。ではアンダーはどうするか。膨らみが始まる場所、山で言えば登り始める場所ということにして、5合目をアンダーの地点に設定しよう。

しかし単純な標高差でサイズが決まるわけではない。胸囲や胴回りの長さを計算して考えなくてはいけなかった。とはいえ富士山にメジャーを巻きつけるなんてできるはずもなく、はたまた複雑な計算で面積を求めることは僕には難しい。安直だった。おっぱいはそんなに甘くない。

でも、どうにかして大きさは求めたい。自分にできうる方法を考える。その結果、学生時代の数学の知識を使うことにした。図形問題にして辺を求めるくらいならなんとかなるだろう。中学生レベルの数学で解決するにあたり、都合が良すぎるとは思いつつ、おっぱいを三角形とし、胴体(アンダーバスト)に当たる部分を長方形として考えることにした。

富士山を1つのおっぱいと考えると、バストサイズを図るには富士山が2つ必要ということになる。そもそもおっぱいの単位とはなんだ。箸が2本で1膳であるように、おっぱいも左右で1セットではないか。調べてみると、いわゆる乳房は「房(ひとふさ)」と数えるようだ。つまり僕らが普段眺めている1おっぱいは2房ということになる。

バストサイズを求める上では二房必要になるため、今回は富士山が2つ並ぶものとしよう。

トップとアンダーをそれぞれ求める場合、
トップ :胴(長方形)の上におっぱい(三角形)が2つ乗った外周
アンダー:胴(長方形)の外周
となる。
なおトップ計測時、谷間にあたるへこみは実際も考慮されないものとし、三角形の頂点を結んだ線を外周として考える。図に起こすと、トップはオレンジ部分、アンダーは水色部分の距離になる。

こんなに角ばったボディラインはないけれど致し方ない。おっぱいに免じて許して欲しい。。
各辺の長さを求めるため富士山の直径を調べると、運の良いことに標高の約10倍の長さだった。自分の計算力を鑑み、少し数値の調整をする。僕の頭の中に何年ぶりかの数学問題が浮かぶ。

辺の長さを求めるなんていつぶりだろう。うる覚えの数学知識と「何をしてるんだ」という気持ちを抱えながらペンを動かした。三角形の二辺が分かれば残りの一辺も分かるという三平方の定理を思い出して使ってみるが、そもそもの掛け算が分からない。電卓やエクセルを使いながら一つずつ思い当たる数値を計算していった。

10年以上前は全て自分の頭と手だけで計算していたなんて信じられない。志望校合格のために費やした努力はいま、おっぱいの大きさを求めるために使われているのだ。

幾度となく計算ミスを繰り返し、ようやく必要な数値を導き出した。この計算をするのに2時間近くかかった。なんとか自力で解決したかったけれど、どうにも自信が無くて最後は数学教師の友人に相談した。「富士山がおっぱいだった時のために計算している」と言ったら急に返事が素っ気なくなった。
何はともあれ、準備は整った。ついにバストサイズを計算していく。

図をもとに導き出された結果は
トップ:18809m。
アンダー:10340m。
トップとアンダーの差:8469m。

なるほど。さっぱり分からない。おっぱいらしくない数値がきっといけない。そこで、アンダーバストを現実サイズに縮小して計算することにした。

富士山バスト、ついに現実へ

アンダーバストの設定は、細すぎると「理想が高い」と反感を買いそうだし、太すぎても「忖度するな」と言われそうだ。難しいけれど中間くらいの数値をとって70cmとする。
アンダー70と言われても正直どれくらいかは分からない。太すぎず痩せすぎずといったところなのだろうか。試しに「バスト アンダー70 グラビア」などの言葉で検索してみた。僕の気持ちはなぜか少し穏やかになったものの、結局疑問が解決することはなかった。

さて本題である。アンダー70の時トップはどんな大きさだろう。

導き出したアンダー10340mを70cmまで縮小した時の比率を、トップにも当てはめる。
あの大きな富士山が、おっぱいに変わる時がきた。計算をしながら胸の鼓動が早くなるのが分かった。日本一の山がおっぱいだったら。どれだけ驚きの数値が出るのだろうかと。そしてこの謎が解けたとき、僕は何を得られるのだろうか。結果が出た瞬間、僕の口からゆっくりとため息が漏れた。

トップ:90

アンダー:70

トップとアンダーの差:20

このサイズはEカップにあたる。
そう、富士山はEカップだった。

Eの70。大きいし魅力的だ。改めて富士山を見つめると確かにEカップに見えてきた。大きいがどこか上品さを感じる。寛大な心と慎ましさ、全てを受け止めてくれる心の広さ。和の心。日本の美。あぁ日本人で良かった。

しかし大きいことは大きいが、調べてみると一般の店舗でも下着を購入できるサイズのようだ。心のどこかで、もっと非現実的なサイズを期待していた自分がいた。ZカップとかZZカップとか。思っていたよりも描いていた理想は現実に近かった。雄大で豪快で手が届かないと思っていた日本一の存在は、思いのほか身近に潜んでいた。

それでも日常は変わらない

もう少しでFカップだった。せめてFカップだったら「富士山のFはFカップのF」なんてオチが作れたのに。そう話はうまくいかない。むしろ中学生レベルの数学で求めた角ばった架空おっぱいで何を語っているのだ。

壮大な景色を見れば何かが変わると勝手に思っていた。大自然の大きさとその中にポツンと佇む自分の小ささを知り、見つめ直せるのでは、と。確かに富士山は大きく偉大だった。しかし日本一の絶景を瞳にうつしても、僕の頭に浮かんだのはおっぱいのことだった。

そう簡単に人生は変えられない。当たり前のように日常は続いていく。
絶景を見ても感じるものは人それぞれ。その瞬間に人生が動き出すこともあれば、その時は何も変わらない人だっている。しかしそれが栞となって人生のどこかで振り返ることもあるかもしれない。
その経験が光を浴びる瞬間がいつかきっと訪れる。役に立たないだろうと思っていた中学時代の数学が、20年後のいま脚光を浴びたように。

もしも富士山がおっぱいだったなら。

そのサイズがEカップと分かっても大きく人生は変わらないけれど、きっと未来の自分はこれまでと少しだけ違う景色を見られるようになっているはずだ。

もしかするとE70のおっぱいに出会った時が、人生の変わる瞬間なのかもしれない。