たどり着けなかった話

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 「あれ、そんなパンツ持っていたっけ?」

 風呂に入ろうと服を脱いでいる時、廊下から妻に声をかけられた。すごいな、夫のパンツの種類を把握しているのか。ぼくは愛されてるな。

 「ああ、今日は漏らしたからね」

 なるべく、こともなげに返事をしてその場を切り抜けようとする。

 「え!?どういうこと大丈夫?」

 「大丈夫。大丈夫。よくあることだから」

 「よくあるの!?一度、お医者さんに行った方がよくない?病気とかさ…」

 だめだ。ぜんぜん切り抜けられなかった。

 「みんな漏らしてるよ。むしろ年収が高い人ほど、うんこを漏らしてるって統計もあるくらいだよ!」

 そんなわけで、うんこを漏らしてファミマでパンツを買った経緯を説明した。

 

 とはいえ、うんこを漏らした悲しみなんてだいたい似たようなもので、聞いていて面白いものでもなんでもない。妻もすぐに話に興味を失っていた。便意が襲ってきて、近くにトイレがなく、そこにたどり着けなかった。ただそれだけのことだ。

 ここから何度もうんこを漏らすと書くのは憚られるので以後は、たどり着けなかった、と書くことにする。

 大人になってからたどり着けなかったことは5-6年に1回くらいあるだろうか。たしか前回、たどり着けなかったのは杉並で駐車場用地の契約・決済の直前だったからよく覚えている。法務局のデータベースから土地謄本を取得すれば、いまもたどり着けなかった日が刻まれている。“共有者全員持分全部移転 令和1年5月25日”、思ってたより最近だった。ペースが上がってきているのかもしれない。

 

 よくあるといってもそれほどじゃない。だいたいは駅のトイレやコンビニ・喫茶店などにたどり着いて、ひやりで済む。ハインリッヒの法則通り、300件のヒヤリ・ハットがあると、どうしても29件くらいの軽微な事故が起きてしまい、いずれ1件の重大な事故を起こすのだろう。幸いなことにいままでにまだ重大な事故は起こしたことがないけれど…このペースなら生涯のうちに重大インシデントに遭遇するかどうかは確率的に半々という感じか。あまり考えたくはないな。

 ここでいう軽微な事故というのはトイレにたどり着いて確認したときには若干の漏洩が認められる程度の事象を指している。


 今日も最初はささやかな可愛い便意だった。やあ、来たね。あとでトイレがあったら寄るよ。そんな感じで余裕をかましていると、それが想像を超えて大きくなりはじめて、じわじわと焦燥感と冷や汗がにじみ出てくる。最優先事項をトイレに切り替えて、最短距離にあるトイレがあるだろう方向に舵を取る。しかしトイレに向かうよりも早く、便意が加速して追い抜いていく。ようやく近くのコンビニに飛び込むとトイレはありません、などと言われる。そんなことあります?店員はうんこしないの? こんなに街には建物があふれ、すべてにトイレがあるはずなのに、ぼくが座れる場所はひとつもない。Googleはこういう時のため最短距離でたどり着ける便座ルート機能をGoogleMapに実装するべきではないだろうか。嘘つきにひっかかって無駄な時間を過ごしてる間にも、刻々と迫りくるそれは止まらない。物理的に抑えようと内股になり、時々反り返ったり、ペンギンのようにヨチヨチ歩きをし始め、ついに息を止めて一歩も進めなくなり、それでも勇気をだしトイレを目指して足を進めようとすると、一瞬圧力に負けてちょっとだけ漏洩してしまったような感覚を覚え、やっとたどり着いたトイレで確認すると案の定パンツを汚してしまっている。軽微な事故とはこういうやつだ。みんなもあるでしょ。

 

 事故後のリカバリー対応はもう手慣れたものだ。出てしまったものは戻らない。落ち着いて多目的トイレに入り、パンツを手早く洗い、トイレットペーパーで水分をなるべく吸収する。まだ濡れたままのそれを履き、両者の接触を避けるようにズボンを腰履きに、なるたけ浅く履いて街に出る。ここまで無駄な動きは何一つない。つづけて近くのファミマでこれからお泊りでもするかのような顔で無印良品のパンツを買う。会計の時はテープで済まさず、必ずビニール袋にいれてもらうこと。そして、ふたたびトイレに戻って不愉快に濡れた旧パンツをさきほどのビニール袋に叩き込み、新品のパンツに履き替える。もうこの頃には大きなミッションを成し遂げた充実感と、生まれ変わった爽快感に満ちている。


 それにしてもなぜ、大人になってもうんこを漏らしている人ほど年収が高いのだろう。

 

どエンド君_しらべぇ引用
ニュースサイトしらべぇ「ウンコ漏らしたことあるを年収別に調査!悲しむ必要はない?」より引用 https://sirabee.com/2015/12/05/65349/

 

 年収が高い人はそれだけお腹に来るようなストレスを抱えているのだろうか。トイレにいく暇もないほど多忙なのだろうか。いや正直者こそが成功する世の中だから、うんこを漏らしたことをアンケートに正直に告白しているだけで誰もが等しく漏らしているのかもしれない。それとも歳を取ると年収が上がり、加齢により漏らしやすくなるというただの疑似相関だろうか。

 もしかすると、たどり着けなかった悲しみが人を成長させているのかもしれない。世の中、いつだってうまくいくわけではないという謙虚さを学び、トイレはありません!なんて嘘をつくことなく自分がその立場だったら貸してあげようという他人への共感と優しさを覚え、そして人知れずに一人で段取りよく事故対応をした自信が生まれる。そんな人としての成長が仕事に好影響を与えないわけはなく、ひいては年収が上がってるのではないだろうか。たどり着けなかった人にしかたどり着けない境地。それをぼくらは知っているのだ。まだ知らない人は早くうんこ漏らして欲しい。