言葉は人を連れてゆく

田所さんサムネ

『ぶんしょう社』という名前を聞いただけでもチビりそうなメディアが立ち上がるらしい。

そこに日本でも無名中の無名として有名である僕に記事を書いて欲しいという依頼を、とある魅惑的な宇宙人からの交信を通じて受けた。

最初は何かの冗談だと思ったので、そこは慎重に一度だけDMで確認をしたのだけど、どうもご本人に間違いなさそうなので、依頼をお受けする事にした。

話を進めるにつれ、「お題は何でもいい」という非常に専門性の高いカッチカチの依頼内容であったので、かなり途方に暮れた。

けれど、「ぶんしょう」を通じて起きた出来事を話す時がきたのかもしれないと感じ、思い切って書く事にした。

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10代は目に見える戸棚を全て開けてとっちらかし
20代になると開けるべき戸棚が少しだけ見えてきて
30代には好きな戸棚を開けられる様になる。

けれど40代になると戸棚自体を開ける事にちょっと疲れたりもして、新しい好きをなかなか見つけなくなる。
イチから学ぶという事が億劫になる。

学ぶという事が嫌いになったのではなく、知らぬ間に背負うべき荷物がとんでもない事になるから、それに割ける時間が若い時よりどんどん削られていくのだ。

因みにこれは全て僕の事なので、他の人がどうなのかはわからない。

それ故、40を過ぎてから楽しいと思える事にエネルギーを注げるというのは相応の勇気が要る反面、とても貴重な事だった。

そして、そんな世界を生涯大切にしたいと思っている。

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言葉にしづらい事象を咀嚼して表現出来る人は、今でも魔術師か何かだと本気で思っている。

難しい言葉で表現する事の方が簡単なんじゃないかと思えるほど、モノゴトを簡単に表現するという事は、極めて難しい。

Twitterでも良い言葉や楽しい出来事を伝えたいと思うのだけど、これがなかなか上手くいかない。
送信の一歩手前で止めた「クソみたいな呟き」の下書きは、軽く200を超える。(いや消せよ

そんな時、タイムライン上にこんな言葉が飛び込んできた。

良い言葉は必ずあなたを良いところへ連れてゆく

なんて素敵な言葉だろうと思った。

本当はこういう事がいつも言いたいのに、140字で纏める才能も語彙力も無い僕は、旅の思い出をnoteに綴る事に決めた。

ありがたいことにナニモノでもないおっさんの旅日記を、多くの人に読んで頂いている。 けれど、それまでの過程に色々な出来事があった。

実はnoteのアカウント自体は、約2年前から登録していた。

中には名前で気づいてくれた人が早々にフォローをしてくれたのだけど、こちらは当時、呑気に旅の日記でも書こうと思っていた。

ようやく下書きを書き始めた時、敬愛する田中泰延さんから1冊の本がリリースされた。

田所さん途中の説明写真
読みたいことを、書けばいい。  田中泰延著・ダイヤモンド社

 

当時、自分のnoteの事など頭の片隅にも無いまま読んだ。
僕は作家でも無ければインフルエンサーでも有名ブロガーでも無いごく普通のサラリーマンだし、この本を全て他人事の様に読んだ。
本は圧倒的な読者の支持を得て、16万部のベストセラーになる。

そして読後にどうなったかというと、下書きに書き溜めた記事を全て破棄した。

削除前にもう一度読み返してみたが、全くお話にならない記述ばかりだった。

なぜそんな事になるのかは、是非この本を買って読んでくださいというおススメと共に、今でもこの気持ちを最大限に、精密に表現された記事があるので、伏して読んで頂ければと思う。

そこから約2年、noteはただのアカウント登録に戻った。

当時、『読みたいことを、書けばいい。』リリースの前後に、僕はもう1冊探していた本があった。

 

今は見つける事がとても困難になってしまった本で、もっと簡単に見つかると思っていたが、最終的に2か月間と30数店の書店を歩き回った挙句、ようやく見つけた。

そして僕はこの本をまた、『読みたいことを、書けばいい。』とも、自分のnoteとも一切の関係性が無い状態で読んだ。

初めて訪れる不慣れなニューヨークに出てくる人々と描写、気持ち、不安、葛藤、喜びや哀しみ。

この本は自分がまるでそこに一緒に寄り添っているかの様な錯覚があった。
この本を読んだ人の多くは、まるで自分も宮本敬文という1人の主人公になった気持ちになったのではないかと思う。

その文体は表現しようのない不思議な読後感だったが、烏滸がましくも、どこか自分にも似ている様な感覚があった。
僕が同じ場所にいて同じ境遇だったら、きっとこんな風に書くかもしれないという親近感の様な、そんな気持ちがあった。
そして暫くしたあとに、いつか旅の話をこんな風に書ければいいなと思った。

そして僕にはたった1つだけ、救いがあった。
旅で起きた「事象」はもう既に全て起きている出来事だし、それだけならいつでも思い出せる。
ただ、そこに「心象」を加え随筆とする作業に、700日以上掛かった。

書いている時も、旅の途中で出会った多くの友がそれを後押しするかの様に励ましてくれた。
これが無ければおそらく、書くことはやめていたかもしれない。

今年に入り、僕は初めて入院するほどの病気をやった。
おかげさまで今はすっかり完治したのだけど、入院していると、果てしなく時間が進まない事を実感した。

僕はとても調子のいい生き物で、病気の時は死にそうな顔をしてお医者さんに頼ったのに、手術を終え回復していくにつれ、一刻もここから早く出たいと思うようになった。
けれど、思えばその数日間は何年ぶりに与えられた「何もしなくていい」余暇でもあり、ベッドの上で少しずつnoteを書き始めた。

最初の記事は、胆嚢炎という病気の経過と結末を記事にした。
ただ、誰かに読んで欲しいという気持ちよりは、自分があとで読み返したい割合の方が圧倒的に大きかった。

そんな話をTweetすると、敬愛する田中泰延さんがそれをシェアをしてくれたのだ。

友人と言って頂いた事に鳥肌が立ち、すっかり舞い上がってしまったのだけど、よくよく読み返すとそこに書かれていた一文にもう一度驚く。

「文章力」

もちろん、田中泰延さんは僕がnoteを2年も書けなかった事なんか微塵もご存知では無いし、そんなお話をこちらからした事も無い。
まして、『読みたいことを、書けばいい。』のせいで(せいで!)noteの下書きを全削除した事なんか、当然ながら知る由も無い。

ただ、この本に書かれていた事を700日後に実践してみただけなのだ。

言葉が人を連れてきた…

あの素敵な言葉が頭を過った。

その後もnoteを書くと畏れ多くもコメントを頂く事もあったり、また言葉と共に生きてきた泰延さんがシェアをしてくれるという事は、僕にとってとても大きな意味を持ち、いつか直接お礼を言いたいと思っていた。
リツイートして頂ける事ももちろんだけど、この本が示した本質の通り、

言葉が本当に色んな人を連れてきてくれました

というお礼を言いたかった。
先日、毎々人気を博している番組配信に招待して頂く機会があり、その際にやっとご本人にお礼を言えた。

▲田中 泰延 × 前田 将多 × 上田 豪

 #僕たちはむつかしいことはわからない

 

実際にその言葉のおかげで、コスモ・オナンという魅惑の宇宙人に捕獲され、株式会社アマヤドリの代表である5歳さんの元、『ぶんしょう社』のメディアが立ち上がるという素敵な慶事に、今こうして記事を書かせて頂いている。

何者でもない、どちらかと言えばうだつが上がらない普通のサラリーマンが、こうして文章を書く事で素敵な人達と出会えた。

明日地球は滅びてしまうかもしれないが、今日という1日が少しでも素敵なモノになるのであれば、それはとてもかけがえのない出来事なのかもしれない。

そして身をもって経験した僕が言える事はたった1つだけ、

書き続ける先々で出会う素敵な仲間達を、大切にしよう。

と思うのである。

 

この先、どんな旅が待っているのか。

そう考えるだけで、毎日がとても楽しいのだ。

最後に、1つだけ自慢をさせて頂きたい。

Twitterを通じてnoteを書き、そのおかげで色んな人と出会い、とても楽しい毎日を送れるきっかけの1つになった『ウイスキー!さよなら、ニューヨーク』の本には、世界でただ1つ、宮本さんの親友であった田中泰延さんに無理を承知でお願いしたサインが入っている。

2つの線と線が交差したこの居場所こそ、僕にとって大きな意味を持ち、僕の為にある僕だけが知る僕だけの大切な宝物である。