【父の日インタビュー】長年見てきた父の背中、ライターである娘が仕事のことを聞いてみた

白石弓夏

 

「パパ、土日って休み?仕事のことについて、インタビューしたいんだけど、いいかな?」
「いいよ!仕事していないから、毎日が休みだよ‼😊」

先日、父と私がやりとりしたLINEの内容だ。

 

私は1986年生まれ、今年で35歳になる。
看護師として働きながらライターをしていて、いわゆる2足の草鞋、フリーランスという肩書きで活動している。
これまで5回転職をして、今の働き方に一旦落ち着いた。
しかしながら、今後自分の仕事、働き方がどうなるかというわくわくと同時に、不安が入り混じったなかで、今日もなんとか頑張っている。

そんな私の父は1949年生まれ、今年で72歳になる。
長年、飛行機の整備士として働き、定年後は空港や機内での車椅子サービスを提供する仕事(現在はコロナ禍でお休み)をしている。

白石弓夏

若いときから白髪が多く、友達には「ゆみかちゃん家のおじいちゃん」なんて言われたこともあった。
父の幼少期を知る祖母が、「小さい頃から勉強を頑張ってきたから、頭が真っ白になった」と言っていたので、私はあのふさふさとした白髪が密かに誇らしかった。

娘からみても父は穏やかで、どちらかというと寡黙なイメージ。
見た目は所ジョージと柴田恭兵を足して割った感じで、中身は高倉健みたいだと勝手に思っている(笑)。

 

昔からパパっ子である私は、高校受験のときの面接で、尊敬する人は誰かと聞かれ、「父です」と答えたことがある。
家では仕事の愚痴を聞いたことがなく、自分のやりたい仕事で努力を続けている背中を子どもながらに見ていて、休みの日には山や海に連れて行ってくれた思い出が強く残っているからだろう。
今でもその気持ちには変わりはない。

当時は、父の仕事がどんなものか、詳しくは知らなかった。
聞いてもよくわからなかっただろう。

でも、40年以上同じ会社で勤め上げ、定年後は別の仕事を10年続けている父が、どんなことを考えて仕事と向き合っていたのか、ずっと話を聞きたいと思っていた。
特にここ数年は、私自身もいろいろとキャリアを考える段階でもあった。

「ようやく父に話を聞くチャンスが来たのだ」とそう思い、今回父に連絡を入れた。

早く社会に出るために、工業高校から整備士の道へ

私:今日はよろしく!気楽に話してね。さっそくだけどパパは工業高校を出てから、推薦枠で航空会社に入社したんだよね。どうして整備士になろうと思ったの?

父:話下手だから、うまくまとめてね。そうそう。工業高校の機械科にいて、推薦をもらって航空会社に入った。19歳のときだね。パパは6人兄弟の末っ子で大学に行けないのはわかっていたから、早く社会に出たくて工業高校を選んだ。当時はまだ飛行機の整備士になりたいとは考えていなかったけど、ベルトコンベアで流れ作業をしていくような部分的な仕事よりも、何か大きいものを最初から最後まで組み立てる、そういう仕事をしたいと思っていた。プラモデルの組み立てが好きだったからね。

それで、高校3年生のときに学校に航空会社からの推薦枠が来て、すぐに飛びついた。これなら自分のやりたいことができると。元々、高校では成績がずっと学年トップだったから、スムーズに入社できたよ。

私:入社してからはどんな仕事をしていたの?

父:高校卒業後はまず、飛行機のエンジンを分解・組立をするようなエンジン工場というところにいた。最初から飛行機全体のことを極めるより、まずはエンジンのことを極めようと思ってね。そして、着陸後の飛行機をすぐに整備するライン整備工場という部門に行きたいと当初から異動希望を出していて、3年目で異動することができた。

私:エンジン工場とライン整備工場って何が違うの?

父:わかりやすく車でいうならエンジン工場は修理工場、ライン整備工場はガソリンスタンドって感じかな。エンジン工場は飛行機に触らず、取りおろされたエンジンを扱う。ライン整備工場は、飛行機を飛ばせる準備をする最前線の部門だね。パパはそこで長く働いていたよ。

奮起して見返す、負けず嫌い…穏やかな父の知られざる一面

父:だけどさ、3年目で異動した直後。まだ何もわからなかったときに、ある上司がブリーフィング中に「○○(父の名前)は飛行機のこんなことも知らない」と嫌味を言われたことがあったんだよね。それで、奮起して見返してやろうと、『一等航空整備士』という国家資格を同期200人強いるなかで誰よりも早く取りに行った。

私:若い頃にはそんなことがあったんだ…!奮起して見返してやろうという一面もあったんだね。その国家資格を持っていると何が違うの?

父:ライン整備工場では確認整備士がいて、航空日誌に整備内容を書くんだけど、整備して問題なしと最後にサインを押せるのが、その国家資格を持った整備士。サインがないと、飛行機は飛ばせられない。しかも、飛行機にはいろんな種類の機体があるでしょ。それぞれに社内試験があって、パパは40歳半ばまでに6つ取った。辞書を引きながら、広辞苑のように厚い教材と英語のマニュアルを読み込んで猛勉強したね。

同期でもパパと同じ時期に社内資格を取ったやつがいて、そいつは友人でもありいいライバルでもあり、よく競っていたよ。

海外へ転勤、その後現場から離れた立場へ

白石弓夏

私:仕事柄、出張や転勤も多かったよね?

父:国内の出張や転勤もいくつかあったよ。最初に海外転勤したのは、ドイツのハンブルクだったね。確か28歳くらいのときに、実修生として行った。当時のハンブルクはヨーロッパの玄関口みたいなところ。今ほど飛行機は長距離飛行ができなかったから、羽田を出てアメリカのアンカレッジ国際空港、北極圏を経由してハンブルク国際空港からヨーロッパに入るのが主流だったんだ。

ドイツにいたのは一年だけだったけど、一緒に働く人は家族を大事にしていて、仕事に誇りを持っている人が多かったね。大きな都市だけど、街並みも綺麗で自然もあって、そういう場所で過ごした影響は大きかったかもしれない。

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私:28歳のときに、そんな経験があったんだね。それから私が小学校のときには香港へ転勤になったよね。家族で引越しをして。

父:そうだね。ちょうど1997年の香港返還頃で4年間いたね。正直言うと、海外転勤といえばニューヨークやロサンゼルス、ロンドンなどが、華やかで羨ましいイメージはあった。香港は確かに重要拠点で大きな空港ではあったけど、先進国ではないし…一喜一憂するほどではなかった…かな(笑)。でも、狭い土地ながら山や海もあって、そういう点では家族と一緒に住みやすくていいところだったと思うよ。

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白石弓夏
1998年に閉鎖された香港の啓徳空港

私:私も香港は楽しい思い出が多いね。それから日本に帰ってきて、パパの働き方は何か変わったの?

父:そのときは50歳前だったと思うけど、現場から少し離れた仕事に就くようになったよ。整備をサポートする部門というのかな。会社からやってみないかと声をかけられたんだ。飛行機全体のサポートを任されて、現場の整備士からの相談にアドバイスをする仕事だね。いわゆるデスクワークだったけど、おもしろかったよ。

入社当時からみると、飛行機もアナログからデジタルに移行するところで、今ではコンピューターからいろんな整備情報を得られるようになった。このおかげで整備士の負担も減ってきたし、そういう変化を身近で感じてきたね。

人命に関わる仕事、自分のやるべきことを淡々と

私:これまで話を聞いてきて、すごく順調にキャリアを積んでいる…という印象なんだけど、航空業界もいろいろ大変だった時期もあるじゃない。そういうなかでもずっと働いてきて、辞めたいとかしんどいと思ったことはあったの?

父:確かに働いている身としては、いろいろと衝撃はあったよ。襟を正さなくてはいけない気持ちになったこともね。だけど、人命に関わる仕事であることはずっと変わらないし、自分の仕事をちゃんとやろうと、長年心に決めてやってきたからね…。仕事自体、辞めたいと思ったことはないよ。人間関係で悩んだりすることもあまりなかった。「誰とでもうまくやっていますね」と言われたことがあるけど、自分では「そうなのかなぁ」と、ピンときていなかったね。競争心はあるけど、それ以外のことではあまり周りを気にしていないのかも。自分はマイペースだと思っているし。

それでも大きなミスをしたこともあって、落ち込むことはあった。だけど、なんだろうね…。時間の経過とともに…というか、自分のやるべきことを淡々とやっていたら、そういう気持ちはだんだん和らいできて、それで乗り越えたというのかな。毎日のペースを崩さないように、過剰反応しないようにはしていたかも。特別、何かをやったりはしていないと思うよ。

私:確かに私からみてもマイペースだなと思うことはあるけど、周りを振り回すような気分屋ではなくて、一本筋が通っていて、それを基準に物事を考えているのだろうなと感じる。自分がやると決めたことにはブレないんだろうね。

父:仕事以外の話でいったら、入社2年目くらいから会社のヨット部に入っていた。他の会社の人と繋がるきっかけにもなって、そういう気分転換は昔からやっていたと思う。香港にいたときも、よく休みの日には一緒に山登りしたでしょ。そういう時間は今でも大事にしているね。

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私:整備士の仕事を40年以上続けてきて、パパが思うこの仕事のやりがいってどういうところなのかな。

父:元々自分のやりたいことを仕事にしてきたから、改めて考えたことはあまりなかったね…。整備のサポートに移ってからは、現場から困ったことを聞かれて、配線図やマニュアルなどを見ながら、「それは○○が考えられるかもしれない」とアドバイスをして、その原因が当たったときにはすごく嬉しかったよ。病院のお医者さんとも似ているかもしれない。

私:そうだったんだ。私は現場の仕事を離れて寂しくないのかなと、思うことがあったんだけど…。

父:う~ん…そんなことはなかったよ。飛行機全体を把握して原因を突き止める、これまでの経験とスキルを存分に発揮できるような場所で、最後まで働けたからね。仕事を40年以上続けてきて、自分一人の力だけでは経験できないこと、やれそうにないことをたくさんさせてもらったと思っている。いろいろと大変な時期はあったけど、この仕事を続けてきて良かったと思っているよ。

味のある人間になりたい、機械と向き合う仕事から人と関わる仕事へ

私:定年後には空港や機内での車椅子サービスを提供する仕事をし始めたよね。それはどういうきっかけだったの?

父:定年後に5~6個仕事を受けてみたけど、年齢が理由で断られてしまった。そのときに、友達の紹介で今の仕事を教えてもらった。実はそこには飛行機の整備に関わる仕事もあったんだけど、これまでずっと機械と向き合ってきたから、今度は人と関わる仕事がしたいと思ったんだよね。ちょっとは味のある人間になるかなと思って…(笑)。

仕事では外国人のサポートをすることが多いんだけど、体力的にもそこまでキツイわけでもないし、勤務時間も半日。英語が話せるということで、ちょうど良かった。

私:これまでの仕事とガラッと変わって、慣れないことも多いのかな…と思っていたけど、実際はどう?

父:入社して10年くらいになったけど、最初は介護の研修を受けて、覚えるのは大変だったよ。英語は元々マニュアルを理解するのに単語や文法などは知っていたけどね。でも、英語でやりとりする機会は最近なかったから、テレビの英会話番組をみて勉強している。いろんな人と話すから、仕事はけっこうおもしろいよ。

当たり前のことができる有難み

白石弓夏
正月の御神酒風景

私:今年、私は看護師として14年目になるんだけど、自分が40年50年働くってどんな感じなんだろうと、想像もつかないよ。パパが生きてきた時代とはいろいろ違うことも多いかもしれないけど、パパにとって仕事ってどんなものなのかな。

父:今は正直なところ健康のため、ボケ防止だと思って働いているよ(笑)。あとは、自分でやりたいことをやるためのお金を自分で稼ぎたいということかな。昔はしっかりお金を稼いで、安定した家庭を築きたいという気持ちだけでここまで来たね。定年後は子どもも大きくなったから、これからは自分のことを考えようと。年金だけではちょっと心もとないから、いい気分転換として仕事をしている。歳を取ってからは口から食べられて、運動をして、お酒を飲んで、人と関わって、仕事ができる…という、健康である有難みをしみじみ感じるようになったね。

今はコロナ禍で仕事はお休み中だけど、また再開したら75~6歳くらいまで…いや、今の職場では78歳くらいの人もいるからそれくらいまでかな。働けるうちは働きたいと思うよ。

私:すごいなぁ…。最後に、パパが仕事で大事にしているのはどんなこと?

父:パパは仕事のとき、100%の力を発揮できるように自分の心も体も、常に健康には留意していたよ。健康はやる気を引き出すと思っているからね!だけど、100%自分に合う、やりたい仕事に就けることはやっぱり難しいと思う。それでも若いときの目的、年を取ったときの目的が少しでもイメージできるといいかなぁ…。己を知り、どこまでが自分にとっての許容範囲かを探りながら自分で道を作っていくこと、これが大事だと思う。

 

私が尊敬する父。
これまで私が見てきた背中は間違いなく、今も大きかった。

だけど、私が思っていたよりも腹の底には熱い思いがあり、競争心もあり、いい意味で大らかで…。
やっぱりこの仕事が好きなんだと、ひしひしと感じた。

自分の人生のミッションをこれまで体現し続けてきた父は、かっこいい。
私も仕事について語るときに、こんな風に考えられるときが来るだろうか。
父のように、そうなりたい。

おまけ

私:パパが一番好きな飛行機の機体は?

父:はじめて資格をとった『ダグラス社のDC8-62』という機体。思い入れのある機体だね。

白石弓夏
父:余談だけど昔は、試運転場というエリアで整備後に試運転することがあった。出発までの時間がない場合にはそのままコクピットでエンジンをまわしながら、飛行機を定位置まで動かしたことが何度かあるんだよね。それはもう…格別(笑)。

 

普段は言葉数が少ない父だけど、この日は2時間近くも私の話に付き合ってくれた。
パパ、ありがとう。

 

(執筆:白石弓夏/編集:稲田)

ABOUT US

白石弓夏
看護師兼ライター。 整形外科病棟、小児科クリニックで非常勤をしながら、フリーランスでライターをしています。 働き方やキャリア、教育、マネジメントに興味があり勉強中。 漫画アニメとライブ、ラーメンが大好き。