“「生活」はなんの変哲もなく、「暮らし」のようにいつもきれいではない。
しかし、それでも、生活のゆらぎなるものを静かに、ただ静かに、賛美していたい。”
2021年11月の終わり、和歌山県紀の川市のとあるオフィスで、「生活の情緒展」という小さな写真展が開かれました。和歌山市からは電車で1時間近くかかり、決して「アクセスが良い」とは言い難い場所ですが、会期中の約3週間で知り合いのみならず地元の方を含め計50名以上が訪れました。
主催したのは、合同会社ギンエンの代表、東詩歩さんです。和歌山大学に在籍しながら、2021年4月に同社を起業。同年10月に構えたばかりのオフィスで写真展を開催しました。彼女はなぜポートレートでも絶景でもなく、「なんの変哲もない生活」を写すのでしょうか。その想いと目指す先について伺いました。
目次
心の動きが宿る「生活」に惹かれて
1997年、京都で一人娘として生まれた東さんは、小学生になるタイミングで両親がパン屋を営むことになったため、父親の故郷である和歌山県へ移ってきました。
幼い頃から、カメラで日常を収めていた祖父、写真屋だった小学校のバレー部の監督、カメラを持ち歩いていた中学の担任の先生と、不思議と写真好きな人が近くにいる環境で育ちました。その影響からか、無意識に写真に触れ、興味を持ち、高校生になったタイミングで自分のカメラを持ち始めます。
はじめは、友人らに焦点を当てたポートレートなどを撮っていましたが、次第に「生活」の景色に惹かれていったといいます。
「昔はインテリア雑誌に出てくるような“丁寧な暮らし”に憧れていたのですが、Instagramが主流になってきたあたりから“丁寧な暮らしも好きだけど、実際の生活って綺麗なだけではないよな”とアンチテーゼのような感情も出てきました。綺麗なキャンドルを買うけれど、ホコリをかぶっているじゃないですか。そんな丁寧に暮らしたいという願望と、それに負けてしまう人間の怠惰、その心の動きが宿るリアルな生活こそが美しいと感じるようになり、その瞬間を追うようになりました」
それからは、住み親しんだ部屋に降り注ぐ夕日や、無造作にかけられた洗濯物、磨かれていない窓に反射する陽の光など、ありふれた生活の一瞬一瞬が愛おしくなり、シャッターを切り続けました。
2021年春に彼女は、地域で作られる商品やサービスに光を当てる合同会社ギンエンを設立。秋には、自宅近くにオフィスを構えました。オフィスのお披露目も兼ねて写真展を開こうとしたときに、自然と今まで撮ってきたリアルな生活の美しさを伝えたいと思ったといいます。
それが、今回の「生活の情緒展」の始まりでした。
地方出身×写真。見つかった「私だからできること」
彼女にとって写真は、好きなことでありながら、仕事でもあります。
高校生の頃から写真に傾倒していった東さんは、自然と「いつか写真が仕事になればいいな」と思い始めました。そして20歳の頃、どうしたらプロになれるのかを探るため、写真を学ぶ場の提供や委託撮影などを行う株式会社CURBONへ学生インターンとして入社します。
プロの写真家と仕事をするなかで、徐々に視界が開けてきて、より自らも写真で独立したいという想いが募っていったといいます。カメラ機器もプロ仕様に変え、仕事を受けるようになりました。
自らの写真技術に「これで何かの役に立てるな」と自信を持てるようになった頃、手がける仕事について考えるようになったといいます。
昔から両親がパン屋を営む姿を見ていたことから、サラリーマンという職業選択より、「自分の食べる分は自分で稼ぐ」起業家という選択が身近だった東さん。特に、地方で育った経験から「地方からグローバルへ」とテーマを置き、自分には何ができるだろうかとずっと模索していました。
「昔は全国、ひいては世界中の人に使われるプロダクトやサービスを作りたいと思っていましたが、色々な人と仕事をするようになってから、難しいことだなと実感してきました。Googleでさえ、和歌山では馴染みのない人もたくさんいますからね。
地方には資源もポテンシャルもあるというのを日々感じているので、もちろん今でも『地方からグローバルへ』という想いはあります。だけど、がむしゃらに世界を目指すのではなく、まずは現場に足を運んで、一緒に何かを作りながら光を当てていく。地方出身で商売人の両親を見て育ったバックグラウンドと、写真というスキルを持った『私だからできること』なのかなと思い、起業しました」
こうして、自身の写真スキルやもともと身に付けていたWeb制作スキルと掛け合わせ、ギンエンを立ち上げました。社名は、写真のプリント方式の一種、銀塩プリントを由来としています。一般的な印刷プリントの場合、インクジェット機を使用し紙に色を吹き付けて乗せていきますが、銀塩プリントの場合は印画紙自体に反応する薬品が塗られており、光を当てると写した画が浮き上がってきます。まさに、彼女がやりたいことが表現されている名前となりました。
会社と自分。支えあって生きていくそれぞれの今後
ギンエンは立ち上がってまだ9か月(取材当時)と始まったばかりですが、今後の事業について、彼女はこう語ります。
「まだ自分のなかでしっくりくる言葉は見つかっていないのですが、それらしいおしゃれなものを作ったり、プロデュースしたりするのではなくて、お客様の歩幅に合わせて、一緒に手を動かしつつ歩んでいきたいと思っています」
一方で、会社の今後については、ギンエンのことを生後9か月程度の子どものようだと擬人化したうえで、「“こういう風に育ちなさい”と私が操作することはできないと思っている」と一歩引いた視点で話し始めました。
「思うように自分の子供が育たないのと同じで、会社にも意図しない形で様々なことが起こると思います。ギンエンがギンエンの歩幅で成長すること、ギンエンとして大事にしてほしいことを大切にすること、それらを思いながら仕事をしています。ギンエンがいるからこそ私が輝いたり、ギンエンが調子悪い時ときは私が個展を開いて支えたり……お互いに支えあって生きていきたいです」
では、東さん個人としての今後はどう考えているのでしょうか。現在も和歌山大学に在籍し、学業と仕事の両方を全力で取り組むことで、相乗効果をもたらしたいと語る彼女。一時は休学し、学業と仕事の向き合い方に悩んだ時期もあったとのことですが、その後の変化についてはこう語ります。
「色々な人と話したり、様々な本を読んだりするなかで、自分が望んでいた成功や理想は、自分が無知なことで、世の中の価値観や仕組みに多くの影響を受けていたのではないかと気が付いて。それから学んでいくと様々な発見がありました。例えば、大学で観光学を学ぶなかで、地方創生はここ10年程度のトレンドかと思っていたら第二期、第三期……と長い間向き合っているものだと知りました。地方創生に限らず今世の中で何が問題となっていて、解決には何が必要なのかと、歴史などから学ぶ必要があると感じていますし、それを勉強することが楽しいですね」
今後は、事業を行いながら大学院などで研究することも視野に入れているという東さん。研究のテーマはまだ具体的には決まっていないとのことですが、事業で得た視点と学業や研究で得た視点を掛け合わせながら役に立っていきたいといいます。
「地方創生も長い間取り組んでいるように、自分の理想とするものは自分の人生で完結しないと思っているので、何か問題を解決していくプロセスで自分にできる最大限の価値を提供できるようになりたいです」
眠っている価値に光を当てることが彼女の仕事。ただ、光を当てるためにはまずそこにある価値に気付ける広い視野や教養が必要です。そのために、彼女は学び続けているように思いました。
写真展で生活と暮らしの狭間に光を当てた東さんは、ギンエンと東詩歩という主体の狭間や、仕事と学びという生活の狭間を、どちらも同一化させたり切り捨てたりすることなく、しなやかに生きようとしていました。主体や生活、それぞれ向かう先が鮮やかに交わり、彼女によって彩られる世界を味わう時が待ち遠しいです。
合同会社ギンエン(HP)
合同会社ギンエン(note)
東詩歩Twitter
(写真:東詩歩、編集:中村洋太)