障がい者が「知らない人」から「知っている人」になるように。鍵は“場数とコミュニケーション”

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「“同情するなら金をくれ?” ほんとにその通りなんですよ。私に同情している人のなかにはきっと、『自分じゃなくてよかった』って心のどこかで思ってる人たちがいるんじゃないかなあ」

あどけなさの残る彼女の口から発せられる鋭い言葉に、何度もドキッとさせられます。今回取材に答えてくれたのは、のぞみさん26歳。早産による脳性麻痺により、生まれたときから四肢と体幹機能に障がいを持っています。実際に目にした彼女の車いすは想像以上に無骨で大きく、小さな身体を覆う鎧のようでした。

書くことのプロではないのぞみさんが、noteで発信を始めたのはここ2年ほどのこと。あるオンラインコミュニティの「書くことコース」に入会したことがきっかけでした。好きな音楽のこと、彼氏とのこと、そして社会に対するちょっとした疑問について。言葉の端々から伝わってくる彼女の想いに惹かれ、お話を伺いました。

目次

「障がいのある日常」を発信し、何かを感じてもらうことに意味がある

ーのぞみさんとは、同じオンラインコミュニティに参加しているんですよね。実はのぞみさんのnoteを読むまで、車いすユーザーであることはまったく知らなかったんです。それくらいのぞみさんの存在がナチュラルで……。

のぞみさん(以下、のぞみ):今回取材をお受けするにあたり、「本名を出した方が話の説得力が増すのかな?」と悩んだんですけど……。「車いすの障がい者」として顔を出すのではなく、感じていただいたように、のぞみというハンドルネームを持った「ひとりの人間」の立場からお話しようと思います。「車いすの人」って、ビジュアルとしては強いんですけどね。タレント性なんかも出しやすいし。

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ーそう言われると、たしかにわかりやすいアイテムではありますよね。

のぞみ:本人が意図せずとも、車いすを冠に話題に取り上げられる方もいます。見るからに困難そうに見えるんですよね。もちろん大変なんですけど、だからといって常に「はあ、大変だなぁ〜」なんて思いながら生きているわけではないし、車いす自体を私を表すアイコンにはしたくなくて。

オンラインコミュニティで出た文章を書く課題を機に、noteをプラットフォームにして障がいや日々のことを少しずつ発信していますが、別に「当事者として何かを主張をしたい」とまでは考えていないんです。私にとっての「普通」を発信することで、誰かに少しだけ、何かを気づいてもらえたらいいな、というくらいの感覚です。それを読んで、気づいたことがあればぜひ教えてほしい。今回もそんな想いでインタビューにお応えします。

ーのぞみさんのnoteを初めて拝見したとき、新鮮な驚きがありました。とても爽やかな文章で、障がいの重みを感じさせない軽やかさがあって。

のぞみ:ありがとうございます。私も含めほとんどの障がい者には、コンテンツとしての面白みなんて特にないんですよ。タレントさんなど人前に出るお仕事をされている方は別ですが、私たちはただただ障がいのない人と同じように、日常生活を送っているだけ。だけど、そういう普通の話に耳を傾けてもらえることに、いまは意味があるような気がしています。

ーとはいえ、はっとさせられるnoteもありました。『「障害者は頑張っている」という感情から抜け出せない私たち』の中で、見知らぬ人に駅で話しかけられたり一方的に応援されたりして戸惑う、といったエピソードがありましたよね。特に印象に残ったのは、『そもそも声を掛けてくれる人たちは、車いすに乗っているため目に留まりやすい私を見知ったつもりでいるけれども、私は彼らのことをさして気にも留めずに生活している。だから、私は時々見張られているような感覚を覚えることがある』という一節です。

のぞみ:ああ、はい(苦笑)。

ー私ももしかすると障がいのある方を見守っているつもりで、実は見張ってしまっていることがあるのかもな、と感じさせられました。

のぞみ:うーん。声を掛けてくれることのすべてが悪いと言っている訳ではないんです。例えば、地域のお年寄りにこまめに声掛けをして見守ってあげる。それはそれですごく必要な活動だと感じます。一方で、たとえば通勤時、毎日同じ時間帯に必ず会う人っているじゃないですか。ある日たまたま有給を取った翌日に、駅で出くわしたその人から、「あなた昨日は見かけなかったけど、どうしたの?」と声を掛けられたりすると、すごく戸惑ってしまう。

ーたしかに。かなり親しい間柄でもない限り、突然プライベートを問うような声掛けには驚きますよね。東京で通勤中に知らない人から会話を持ちかけられることってあまりないですし。

のぞみ:「1ヵ月も見かけなかったから」とかならわからなくもないんですけど……。「車いすの障がい者が相手だから」という理由で、相手の気持ちも考えず軽い気持ちで声を掛けるという行為が許容されているとしたら、それはどうなんだろう? と疑問に感じることはありますね。もし道に迷っていたり物を落としてしまったりして、明らかに困っているようであれば、声を掛けてくださるのはとてもありがたいと思うんですけど。以前当惑したのは、見知らぬおじさんに「今日も頑張ってね! 頑張らないとおじさん、怒るぞ〜」と言われたことですね……。

相手に想像力を求める前に、その方向性を自分から明示していきたい

ーもはや会話の枠を超えて、頑張りの押し売りみたいな状況ですね。

のぞみ:その例は極端だとしても、「障がいのある人が社会に出てきたいのであれば、頑張って当たり前だろう」というプレッシャーを感じることがよくあります。もしかすると、産休明けで復職した方なんかにも言えることなのかもしれないですね。「いまの自分の状況ではここまでが精一杯だな、でももしかしたらあと少し頑張ればいけるかもしれない」みたいなボーダーラインが誰にでもあると思うんですが、そのボーダラインを超えてギリギリ成し遂げたことが、いつのまにか「できて当たり前のこと」とみなされてしまう。

ーその感覚は、子育てをしながらなんとか仕事を回している私にも理解できます。

のぞみ:そうですよね。特に障がいのある人間にとっては、「できて当たり前」というハードルが果てしなく高いんです。だから常に頭を働かせている。「この障がいを、どうやって説明すれば相手にうまく伝わるのかな」「ここまでお願いしても、迷惑にはならないかな?」って、すごく考えているんです。一方で、障がいのない人ってそこまで私たちの生活について考えてないんだ、と感じることも結構あって。例えばですが、ファミレスにあるテーブルの脚の形って想像できますか?

ーうーん、そう言われると、リアルな形状を思い浮かべることができません。

のぞみ:大抵、真ん中に支柱があって支えられているテーブルが多いんです。車いすだと前輪や足を乗せる台が邪魔になって、すごく入りにくいんですね。

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のぞみ:私たちにとっては4本脚のテーブルが一番ラクなんですけど、そういうテーブルは飲食店には滅多にない。障がいのない人がそういったことに気づかない、ということでもありますよね。一緒に食事に行って初めて「この支柱、すごく邪魔なんだね」と気づく。こちら側は「もっと想像力を働かせてほしいなぁ」と思ってしまうけど、相手からすれば、私たちの生活の基本がわからないのだから想像のしようもない。

ーそうですね。実際に体感しなければ、世の中全体をそういう目でみることは正直難しいと思います。

のぞみ:私たちからすれば当たり前のことでも、障がいのない人からすればまったく当たり前じゃなかったんだ、と思わされることが日々あって、逆にとても新鮮でもあります。『高校の夏スカートを着続けられなかった私との決別』という記事に書いたんですが、例えばふと街中で写真を撮りたいと思っても、手に麻痺のある私にとっては一苦労なんです。

ーとくに人混みなんかでは、ハードルが高そうですよね。

のぞみ:はい。人の迷惑にならないように注意深く車いすを停めて、なんとかバッグからカメラを取り出して、麻痺の比較的軽い片方の手で支えて……みたいに、障がいのない人が一瞬でできることが、私にとってはかなり大変。そういうエピソードをなにげなくnoteで発信したら、「知らなかった、のぞみさんにとっては世界ってそういう感覚だったんですね!」という感想をいただいて。私からすると、「えっ、そこにそんなに反応する?!」っていう。

ーなにげなく書いた内容が読者にとってはとても新鮮な驚きだった、と。でものぞみさんにとっても、その気づきってすごく意味のあるものだったのではないですか?

のぞみ:そうなんですよ。障がいのない人に持っていただきたいと感じてきた想像力の方向を、私たちのほうから明示していかなければ、溝は永遠に埋まらないことがよくわかりました。国や自治体に「もっとスロープを増やしてほしい」と訴えることも大事だけど、普段私たちに関心のない周りの人たちに「何が障害になっているか、何を不便に感じているか」をこまめに気づいてもらうことが先決なのかもしれない、と改めて感じましたね。

一歩踏み込んだコミュニケーションが、溝を埋める鍵になる

ーのぞみさんのお話を聞いて、本当に基本的な知識が私にもないんだな、と改めて考えさせられます。一方でおっしゃる通り、想像力の方向性を明示してもらえればサポートできることが増えるかもしれない、とも。ただ、そういったコミュニケーションの機会が滅多にないんです。

のぞみ:障がいがある人たちの中には、ともすれば幼稚園から特別支援学校に通って、一度も普通校に通わないケースもあります。もちろん医療的なケアが必要な場合は、それしか手段がない場合も多いですし。私は中学校で特別支援学校、小学校と高校で普通校とどちらにも通ってきたのですが、障がいのない人が障がいのある人とともに過ごす時間、つまり“場数”が、圧倒的に足りないと感じています。

ーたしかにこれまでの人生の中で、どんなかたちの障がいをお持ちの方であっても、みっちり一緒に生活をした経験がありません。場数がゼロに近い……。

のぞみ:そうなんです。その溝を埋めるのは本当に大変なことで。話は少し逸れますが、平成25年に「障害者差別解消法」が定められて、障がいのある人に対して不当な差別を行ってはならないという法律が制定されました。これは当事者にとってすごくセンセーショナルなニュースだったんですけど、案外一般的には知られていないんですよ。

ー恥ずかしながら知りませんでした。

のぞみ:そういった溝について考えると、「障がい者界隈」みたいなところで運動を盛り上げていくことも大事だけど、もっとベクトルを変えていく必要がある気がするんです。簡単なことではないですけど、少なくとも私にできることは、さっきも話したように普通の生活を貫いて、その中で出会う人たちに「世の中にはこういうヤツがいるんだな」と感じてもらうことだと思っています。

ーうんうん。溝を埋めるためには、「知ろうとする努力」と「伝えるための工夫」がそれぞれに求められるのかもしれません。障がいのある人だけが頑張らさせられたり、健常者が経験もないのに無理やり想像力を求められたりする社会は、健全ではないですよね。

のぞみ:分け隔てようとするのでもなく、無理に理解させようとするのでもなく……。障がいのない人は、「こんなこと聞いたら失礼なのかな?」と不安に思うかもしれないけれど、勇気を出して「あなたはどんなときに不便を感じる?」と聞いてみることもときには必要だし、障がいがある側も「そんな質問するなんて失礼だ、察してくれ」じゃなくて、ニュートラルに自分の状況を伝えていく。そういうやりとりが当たり前になったらいいと思います。

ーお話を聞いていて、それって別に障がいがあるなしに関わらず、私たちが普段円滑なコミュニケーションを育む上で大切なメソッドだな、と感じました。

のぞみ:そうなんですよ。恋人同士の、「相手が何を求めているのかわからない問題」みたいなものなんです。それぞれ見えている世界がまったく違うのに、互いに言葉が足りなすぎてすれ違っているのと同じ状況。雑なコミュニケーションのままとりあえず一緒に生きていこうとするから、結局はうまくいかないんだと思います。

規格外の面白い人生を送りたい。そこに障がいの有無は関係ない

ー話をガラッと変えてもいいですか? のぞみさん、このたびマンションを購入するらしいですね。コミュニティ内で小耳に挟んで、正直驚きました。

のぞみ:そうなんですよ。26歳の若さで、しかも障がいがあるのにローンを組むという。普通の人でもやらないようなことをしようとしているんです。実感がなくて、まだちょっと怖いんですけど(笑)。

ーなぜこのタイミングで決断されたんですか?

のぞみ:私は自力で家事全般ができるわけではないので、今は宿泊型自立訓練施設に住んでいるんですね。ちなみに18歳から一般企業に勤めていて、日中は普通にオフィスワークをしています。で、いま住んでいる施設にはずっといられるわけではなく、基本的には2年間の期限があるんです。期限までにまだ時間はありますが、いずれは出なきゃいけないんだよな、と考えながらなんとなくネットで物件情報を見ていたときに、すごくよさそうなマンションを見つけてしまって。

ーとりあえず賃貸から始めるとかではなく?……って、お節介ですみません。26歳で物件購入が私には衝撃的すぎて。

のぞみ:たしかにそうなんですが、やっぱりいろいろ制約があるんです。快適に過ごすためには、家の中に手すりを付けたり、浴室のドアを付け替えたり、かなり大規模なリフォームが必要になるんですね。しかも一度住んでしまったら、引っ越すのはかなり大変です。そう考えたら、いっそ購入してしまったほうがいいのではないか、と思い至りました。生活はヘルパーさんのサポートを借りればなんとかなりますし。

ーそれもそうですね(でもすごい)。不動産屋さんとのやりとりでは、一悶着あったともチラッと伺いましたが……。

のぞみ:そうなんです。普段は母と一緒に行くんですが、ある日たまたま一人で手続きに行ったら、スタッフの方に「念のため、保護者の方に同席していただきたい」と言われてしまって。これまでにもそういうことを言われた経験はあるし、気持ちはわからなくはないんです。車いすの若い独身女性に家を売るケースなんて、おそらく扱ったことがないでしょうから。「どうしよう、この状況やばいんだけど……。そうだ、とりあえず自分と同じように話ができる親御さんを呼んでもらおう!」という思考が働いたんだろうな、と(苦笑)。

ーすごく客観的に状況を観察しているけれど、きっとのぞみさんすごくモヤりましたよね。未成年でもないし、ローンを組めるだけの収入があるからここに来ているのに。

のぞみ:そうですね。ただ、どこで何をしていても、同行している健常者のほうが話しかけられるというのは日常茶飯事なんです。モヤモヤするけど、人の感情としてはごく自然なことだとも思っています。だって、知らない対象に遭遇したときに、見知った顔を見ると安心するじゃないですか。

ーそうですね。

のぞみ:それこそ場数を踏んでいない人たちにとっては、障がい者は「知らない人」だと思うんです。でもありがたいことにその不動産屋さん、通うたびにどんどん私に慣れていくのが手に取るようにわかるんですよ。初めの頃は車いすをどう扱えばいいのかオタオタしていたのに、最近では何も言わなくても「あ、これ動かしますね」と、サッと導線をつくってくれるようになってきている。私が「知っている人」に変化してきたんです。

ーすごい。まさにのぞみさんが普段の生活を貫くことで、相手の行動を変えたんですね。社会を変えるための小さな一歩って、まさにそういうことですよね。じゃあ紆余曲折ありつつ、無事に契約は済んだのですか?

のぞみ:あとはローンが実行されれば完了です。今年中には入居できるかな、という段階ですね。

ーうわ〜、これからの生活が楽しみですね!

のぞみ:ありがとうございます。家の購入を決めたとき、「障がい者としては、私の人生って規格外なのかもな」と考えていたんですけど、最近ちょっと考え方が変わってきていて。「障がい者であろうがなかろうが、私の人生ってそもそもきっと規格外なんだ」と思うようになりました。きっかけは、しいたけ占いです(笑)。あるとき、「蟹座のあなたは、面白くないことは許さない人間です」と書いてあって、ああ!って。

ー私も蟹座なんですけど、すごくよくわかります(笑)。

のぞみ:一緒ですね! 私は、「障がい者だから可哀想」みたいな悲観的な世界観が昔から苦手なんです。一方で、「障がいをもろともせずに笑い飛ばそう」というポジティブすぎる感覚もしっくりこない。だけど占いを読んで、結局私は「人生、面白く生きていきたかったんだな」とようやく気づきました。卑屈になって「つまらない」って言い続けていたら永遠につまらない人生ですから。クリスチャンなので、本当は占いを信じちゃいけないんですけど(笑)、今はその感覚がすごくしっくりきてる感じですね。

(編集後記)

「取材、オンラインなんですね。もしかしたら直接お会いできるのかなって、実は楽しみにしてたんですけど……」Zoom画面のなかでニコニコ微笑むのぞみさんの言葉に、私はまたドキッとさせられていました。もちろんコロナ禍だから、という理由はあったけれど、私はどこかでのぞみさんの障がいに対し、過剰に配慮していたところがあったからです。

障がいがあろうとなかろうと、お互いに忖度しすぎず、どんどんコミュニケーションしていくことが大切ーー。今回の取材で、あらためて気づかされました。「人が持つ多様な痛みに想像力を働かせよう」という意識が高まりつつある昨今。言うまでもなく思いやりを持つことは大切ですが、適切なタイミングで適切な助け合いをするためには、ときに一歩踏み込んだコミュニケーションが必要な場合があるのかもしれません。

「何か気に触ることを聞いていたらごめんなさい」と謝る私に「そんなこと、あるわけないじゃないですか!」と一蹴するのぞみさんの笑顔が印象に残っています。そして取材からしばらく後、のぞみさんから無事マンションへの入居を済ませたとの連絡が。「月々のローンを支払うたびに、私、マンション買っちゃったんだなぁという実感が強くなっています(笑)コロナが明けたら、はやく友達を招待したいんですよね!」いまだ先の見えないコロナ禍においても、のぞみさんは持ち前の「規格外の人生」を謳歌し続けているようです。

<プロフィール のぞみ>
電動車いすで生活している、普通のOL。
人と話すことや、ライブに行くことが大好き(コロナ禍で休止中)
最近ハマっているのは無印良品のお菓子。
オススメがあったら、ぜひ教えてください。