「自分の刺繍した作品が、初めてパリコレのランウェイで発表されたときは嬉しかったですね。家族や友達に『これ、私が刺繍したんだよ!』って写真を送っちゃいました」
正木アキさんは現在、パリで活動中の刺繍職人だ。アキさんが専門とするオートクチュール刺繍は、ビーズやスパンコールがふんだんに使われ、見る人に華やかさを印象づける。これまでに、シャネルやセリーヌなどのパリコレ作品の製作にも携わってきた。
なぜ、アキさんはパリで刺繍職人となったのだろう。
目次
フランスが好きになった大学時代
「小さい頃から、将来はファッションデザイナーになることが夢でした」
その夢が芽生えたのは、幼少期から服を手作りしてくれた母親の影響だった。ファッションや洋裁が身近な環境で育ったアキさんは、服飾を学べる大学に進学する。
大学での専攻は、ファッションデザイン。しかし、夢見たデザイナーの仕事は不向きだとわかった。デザインの作業は、テーマやコンセプト決めなど紙の上で行うことが中心。それよりも、実物を作る方が好きなことにアキさんは気づいた。とはいえ、のちに夢中になる刺繍に関しては、必修単位を取るために学んだくらいで、当時はまださほど興味がなかった。
大学時代、特に惹かれたのはフランスのことだった。きっかけとなったのは、フランス語の授業と研修旅行。
「フランス語は発音や単語など、初めて知ることだらけでおもしろかった。成績もいつもよかったですね」
そして20歳の秋、学内の研修旅行で、アキさんは初めてパリを訪れる。パリコレの作品を作るアトリエを、実際に見学できる研修だった。パリコレの服が人の手で作り上げられるのを見て、自分もやってみたいと感じたそうだ。
旅行中、パリの街並みにも感動したアキさんは、フランスに住んでみたいと憧れを抱く。そして大学卒業後、今度は語学留学で3ヶ月間フランスに滞在した。本当に住みたいのか、自分の気持ちを確かめるためだった。
偶然出会ったオートクチュール刺繍
大学では成績優秀だったフランス語。だが、現地の語学学校の授業は難しかった。授業についていけず、泣きながら帰ったこともある。それでもアキさんは諦めず、家に帰ってから必ず復習していた。
「1ヶ月くらい経って、突然ボルヴィックのラベルに書いてあるフランス語がすべてわかったんです」
フランス語が身についている。そう実感した瞬間だった。
実際に生活してみて、もっとフランスが好きになった。
「日本では、みんなと同じでないといけない気がして、いつも苦しかった。でもフランス人を見ていると、『これが私』って堂々と過ごしている人が多くて。私もこのままでいいんだって思えたら、すごく心地よかったんです」
フランスは、アキさんの心を解放した。フランスに住む決意が固まったアキさんは、日本で渡仏費用を貯めるべく、帰国。
「日本にいても、フランスとつながっていたい」。そう考えたアキさんは、かつてパリコレでデビューを果たした、Yohji Yamamotoに入社。仕事は忙しかったが、フランス語の勉強は欠かさなかった。フランス語教室に毎週通い、休みの日もフランス人の友達と会って、語学力を磨いた。
フランスに住みたい。その想いは強まる。しかし、生活するためには現地での仕事が必要だ。デザイナーは向いていない。何かほかに、自分に向いていそうな仕事はないだろうか。
悩み続けて1年ほど経ったある日、アキさんは偶然、パリの刺繍アトリエを紹介するテレビ番組を観る。そこに映っていた刺繍作品に、「きれい……。あ、これかも!」と直感が働いた。
すぐに刺繍が学べる現地の学校を調べた。やりたい気持ちが湧き上がる。刺繍職人の資格を取れる学校が、パリ郊外に一校だけあった。その学校ならアトリエでのインターンシップも可能で、仕事にもつながりそう。やっとフランスでやりたいことが見つかった。
その後、もう1年日本で働いて資金を貯め、2016年にアキさんはパリへ渡る。
念願の刺繍学校
刺繍学校では、フランス人に交じって学んだ。刺繍の学びも、現地人との会話も楽しかった。しかし、小さな学校だったため、先生はひとりだけ。自分から聞きにいかないと、学べる量に差が出る。わからないことがあれば、とにかく聞きに行った。
インターンシップでは希望するアトリエに行けるよう、インターンシップ先の相談を早い時期から先生にした。その甲斐あって、2つの有名アトリエでインターンシップを経験できた。
アキさんの通った刺繍学校では、職人や専門職の技能を示すフランスの国家資格「CAP」の資格が取れる。しかしCAP取得には、フランスの「バカロレア」(日本でいう高校卒業資格が近い)が必須だった。バカロレアを持っていない場合は刺繍の試験に合わせてフランス語での国語・数学・理科・保健体育・美術史の筆記試験、地理歴史・英語の口頭試験が必須となる。アキさんはひたすら勉強し、見事CAPに合格。晴れて刺繍学校を卒業した。
刺繍と共にフランスにいたい
卒業後から現在まで、少しずつアトリエから刺繍の仕事をもらえるようになった。アトリエの仕事は常にプレッシャーがあると、アキさんは話す。
「作業はスピード重視で、自分ができる少し上のことを求められる。でも、いろいろな人と働けるので、刺激を受けます。私が思いつかない材料の使い方も見られて、勉強になりますね」
一方、自宅で作るオリジナル作品は、納得がいくまで時間をかける。
これは日本に住む方から、「日本の伝統を感じられて飾りやすい、現代的な兜を孫に贈りたい」とのオーダーを受けて作った作品。フランスに住んでいるその方の孫家族に贈られた。
日本からも注文は多い。2021年7月、渋谷のBunkamuraオーチャードホールで行われた“シャンソンの祭典”と呼ばれるコンサート「パリ祭」。女優の高畑淳子さんが舞台上で身につけたピアスは、アキさんの作品だ。
「作品作りにおいて意識していることは?」と尋ねると、「毎日外出します。よく行くのはアクセサリーショップや美術館。パリの街並みを見ていると、インスピレーションが湧いてきますね」
刺繍はいつでも楽しいと、アキさんは語る。「何もなかった布が、ビーズやスパンコールで埋まる完成間近が一番ワクワクします。光が当たってキラキラするのを見ると、いいなって」
フランスに渡って6年。去年までは刺繍の仕事とアルバイトを掛け持ちしていたが、今年初めて、刺繍の仕事だけに絞った。アトリエからの仕事の依頼も増えてきている。
去年は、刺繍やアクセサリーを作るオンラインのワークショップにもチャレンジした。旅行に来られなくてもパリを感じてもらえたらと、アキさんがパリで調達した道具を日本の参加者に送り、オンライン上で一緒に作っていく。参加者からは好評だったそうだ。
最後に、これからの展望を聞いた。
「今年、やっと刺繍一本で仕事ができて、自信になりました。仕事が安定してもらえるか不安はあるけれど、前向きに考えています。フランスにはずっと住みたいですね」
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(編集:中村洋太)