160円の豆大福

手のひらにのせた豆大福

ポテっとしたフォルムに、愛くるしい佇まい。
ひと口であんこの風味が口いっぱいに広がり、顔がゆるむ。

みやけの豆大福

豆大福。

豆大福は、「まめだいふく」とひらがなにすると、柔らかくて優しい雰囲気が溢れ出す。
だいふくだいふく..と唱えると、大きな福が舞い込んできそうな予感すらしてくる。

最近は、「塩大福」とか「豆餅」とか、すこし遠回しな言い方になっているのを見かけるけれど、たいてい豆大福のことだねって食べるとすぐに分かる。

ただ、この豆大福。
和菓子界ではなかなか地味な存在である。

羊羹はしっとりしていてお上品だし、
お団子はお花見とセットで注目されがちだし、
最中は模様が入っていて楽しげだし、
どら焼きはドラえもんの影響もあってか、ひときわ大きな存在感を放っている。

いっぽうで彼らと比べると、豆大福は主張が少なめ。
季節ごとに衣装が変わったりもしないし、葉っぱが巻いてあったりおいしそうなソースがかかっていたりもしない。白と黒、強めのコントラストを保ちながらただただ同じ佇まいで、ずでんとショーケースに居座っている。

ショーケースに並ぶ豆大福

でも、そんななかでも思わず選びたくなるのは豆大福のもつその「純朴さ」に秘密があると思う。
シミひとつない美人よりも、多少のそばかすがある方が親しみやすさが増すように、豆大福も完璧にきれいじゃない方がいい。

丸いかたちがゆがんでいたり、餅から透けて見える黒豆の大きさやポジションが大福ごとに違っていたっていい。むしろ完璧ではないそのイビツさが、食べる側の緊張をほぐしてくれる。

豆大福は、触り心地もやさしくて心地よい。
丁寧にまぶしてある打ち粉のおかげで、肌あたりはサラリとなめらか。つくりたてに出会えるとほんのりあたたかくて、人の温もりを感じる。
食べると、あんこ×黒豆×お餅のうまみが口の中で広がる。わずかな塩味もいい仕事っぷりで、おいしさを格上げしてくれる。

手のひらにのせた豆大福

両手を広げて「おかえりなさい!」と言わんばかりのずっと変わらない見た目、変わらない味。その落ち着きっぷりがホッとさせてくれるし、豆大福のもつ柔らかさが、心のクサクサした部分を取り除いてくれるようだ。

また、豆大福を求めて買いにいく「和菓子屋さん」との出会いもお楽しみの一つ。
店の外でアピールされる貼り紙や旗を見つけては、老舗感ただようお店へおそるおそる入る。

豆大福の貼り紙 豆大福の旗

ショーケースに並ぶ豆大福を眺めながら、ポツリポツリと店主さんと話をする。
「おいしそうな豆大福ですね」からはじまって、そのお店へ通い詰めていくとだんだんと「桜が咲き始めましたね」とか、「梅雨でじめじめして嫌ですね」などご近所さんの距離感ですこしずつ色んな話をするようになる。

とある日には、豆大福を「冷凍する技」も教えてもらった。
どうしても当日食べることができないときは、帰ったらすぐに冷凍すること。自然解凍で食べるのもよしだが、さらにおすすめな食べ方は、トースターで焼いた大福をスプーンでつぶしてあんこをはみ出させてアツアツのまま食べる。そりゃあもう最高ですよ、と、うれしそうに話してくれた。

なんと、豆大福をつぶすとは斬新である。
というかそもそも、豆大福は丸いまま食べなくてもいいし、冷凍してもいいんだ。店主さんのアドバイスのおかげで食べる楽しみがさらにさらに広がった。

ただ、そんな和菓子屋さんも最近ふとしたときに「コロナ禍で経営が厳しくなった」とポロリと漏らしていた。
高齢者が街を出歩かなくなって、ここ1年はガクンとお客さんが減ってしまった。うちは観光客よりも近所の高齢者に支えられてやってきたお店なので、それがなくなると本当につらい..と。

いつもとは少し違ったトーンで話す店主さんと、夕方になってもまだまだショーケースにたくさん並ぶ和菓子を見て、胃がキュッと小さくなった。

エモい豆大福

わずか160円の豆大福。

これを高いと感じるか、安いと感じるかは人それぞれだけれど、この160円が、うれしかったり、寂しかったり、苦しかったりする心に寄り添ってくれる160円になるかもしれない。

つぶれた豆大福

ついつい甘えたくなってしまう豆大福のふところの深さ、おそるべし。

※ここで言う「160円」は、私が通い詰める和菓子屋さんの豆大福の値段です。すべての和菓子屋さんが同じ値段ではありませんが、今まで色んなお店を巡ってきた私調査によると、どこのお店もたいてい160円前後の値段設定でした。