『THIS IS US』ーー「私はこの中に生きている」と思える物語

『THIS IS US』ーー「わたしはこの中に生きている」と思える物語

物語が自分の人生の中に流れるようになったのは、最近のことだった。

学生の頃は小説はおろか、映画もドラマもそこまで触れたことがなかった。もちろん、有名な俳優さんが出ている映画を友人に誘われて観に行ったことはあったが、「俳優さんがカッコよかったね〜」とか「感動したね〜」とかいう、観終わった後30分で忘れてしまうような感想しか持てていなかった。

当時の私は、フィクションの物語よりも、ノンフィクションの日々についていくことに必死だった。コミュニティにおいて、誰が何を好きか、今何が流行っているか。そこに追いつけず取り残されることが一番の恐怖だった。物語など、自分の心の中に入る余地がなかった。

その私が、今は日々、映画・ドラマ・小説と様々な物語に触れている。毎日小説を片手に通勤したり、好きなドラマを何度も観返したり。実に様々な物語に、救われながら生きている。

なぜ、そう変わったのか。きっかけはステイホーム期間、国内外の映画やドラマに詳しい友人が絶賛していた、ある作品を観たことだった。「私はこの中に生きている」と思えたドラマ作品ーー『THIS IS US』だ。

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この物語は、ジャックとレベッカという白人夫妻が、三つ子を授かるところから幕を開ける。長男のケヴィン、長女のケイトは無事生まれたが、最後の1人は流産してしまった。その悲しみの中で、同じ日に生まれ、消防署に置かれていたところを病院へ預けられた黒人の男の子に、ジャックとレベッカは運命を感じ、養子として引き取ることを決める。

このドラマは、彼ら三つ子が成長していく姿を単純な時系列では映し出さない。幼い頃の彼らのシーンの次には、三つ子が36歳で転機を迎えている姿が映し出されるなど、構成の妙が光るストーリー展開になっている。三つ子が大人になっている「現在」と、両親がまだ若かった「過去」に交互にスポットライトを当てながら、徐々に一家の人生を明らかにしていく。

作中で扱われるテーマは、家族愛、人種、養子、親子関係、恋愛、喪失感、キャリア、性差、依存症、過去のトラウマなど、本当に様々だ。どの登場人物も、多岐にわたり絡まり合う問題に、もがき苦しみながら生きている。その姿に、自分の日々の姿が重なり、毎回涙なしでは観ることができない。

1シーズン各18話あるにもかかわらず、本国アメリカではシーズン6まで続いているという沼ドラマである。そして、日本で放映解禁されるや否や夜ふかしをしながらたったの数日で観終えてしまう私は、まさにこのドラマの沼にハマっている。

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なぜ自分がここまでこの作品に惹かれるのか。そのひとつに、想像力が不要なほどに「すべて」が映し出されている本作の特徴がある。

物語の多くは、ある時代にスポットライトを当て、その時代の出来事が語られる。過去が描かれるとしても通常は、影響を及ぼした断片的なシーンに留められるだろう。しかし本作では、過去と現在を交差させながら、すべてが映し出されていく。なぜこの行動をしたのか、なぜこの言動になってしまったのか。それは決して思いつきでも、過去のある部分だけが影響したのでもない。出来事に深く絡み合う彼らの生い立ちや、出会った様々な出来事、そこで生まれた感情……。それらが徐々に明るみになってくる。

私たち視聴者は、彼らの背景すべてを知り、理解してしまっているからこそ、彼らの言動や苦悩、もがきに心の底から共感してしまう。私たちが日常では決して体験することのない「他者のすべてを知る」ことを通して、劇中の彼らを理解する。そして同時に、日々もがき苦しむ自分のことも、どこかドラマ全体に理解してもらえたような、救われた感覚が芽生えるのだった。

そして、すべてが描き切られるとどうなるか。そこには主人公も脇役もいなくなる。この物語には、実に多くの登場人物(三つ子とその両親だけではなく、三つ子の子供やパートナー、叔父、三つ子の黒人の子供を病院に連れて行った消防士なども)が出てくる。そして、その脇役とも思える人たちの人生までもが丁寧に描かれる。すると、ひとつの行動でも、関わる彼らの、彼らなりの視点や想いがあったことがわかる。そして、思う。人生においては誰もが主役であり、誰もが主役ではないということを。その人にはその人なりの地獄があるということを。誰もが苦しみ、誰もがもがき歩こうとしていることを……。

彼らがそれぞれの地獄の中で、微かな光を見つけ、その光にすがりながら生きているのと同じように、私も生きている。そう思うことができる。人に言えないような醜い感情も、自分の想像力の足りなさで起こってしまったすれ違いによる後悔も、この物語を知ると、私だけが苦しんでいるのではないと思えた。自分の中に、この物語が流れ、この物語に生きる人物たちの生命力を感じることで、とても救われた。

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作中、長男のケヴィンが、ある理由で死を恐れる姪っ子に向けて、自作の絵を見せながら言うセリフがある。

人生はカラフルだ。一人ひとりが自分の色を加えていく。絵は大きくないが、あらゆる方向に延々と続いてる。無限だよ、人生ってそうじゃないか?

100年前俺が会ったことのない男がこの国へやってきた。彼に息子ができ、その人の息子が俺の父だ。描きながら思ったんだ。最初の男がここにいてこっちに俺がいる。世界中の人がこの絵の中にいたら?生まれてくる前も死んだ後でも絵の中にいる。みんながどんどんいろんな色を重ねていく。やがて色が混ざり合ってみんなは一つになる。一枚の絵に。

(中略)

今はそのことがよく分からなくても、愛する人はいつか亡くなる。明日かもしれないし、数年先かもしれない。でも考えてごらん。もし誰かが死んで姿が見えなくなっても同じ絵の中にいるんだ。そういうことなんだと思う。死は存在しない。

“君”とか“彼ら”とかもなく、みんな1つなんだ。このいい加減でステキなものには始まりも終わりもない。今があるだけ。俺たちみんなだ。
There’s no ‘You’ or ‘Me’ or ‘Them.’ It’s just ‘Us.’ And this sloppy, wild, colorful, magical thing that has no beginning, has no end, it’s right here. I think it’s us.

私はまさに、この作品を観ながら、彼の言うUSという領域に自分も入っているような感覚を覚えた。私はこの作品の中にいる。これは“私たち”の物語だ、と。

“君”とか“彼ら”とかもない、“US”という領域に、どれだけの大切なものや人を囲えれるか。私は、たくさんの素敵な人や言葉や考えやものを、“US”として、大切にしていきたいと思う。

 

(編集:中村洋太)