大人にとって、歳を重ねて遠ざかる“先生”という存在。ひと昔前はよく力に任せて怒られたものだが、いまではそれも少し懐かしい。とはいえ時代も移り、世は令和。今どきの先生は、どういう経緯で教壇に立ち、どういう風に子どもに接しているのか。東京都中野区にある私立・宝仙学園中学校で、情報科の教師を務める石黒絵理さん(38)に話を聞いた。
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とりあえず教員免許を
小さな頃からの夢を叶えられる人は少ない。多くの人は夢半ばで諦め、別の職業に就き、その道に進む。「私は本当にポンコツ」と語る石黒さんもまた、とある夢を持っていたが挫折する。先生を目指したのは、小さなきっかけだったという。
「教員免許を取るのは勉強が大変で……大学入学早々に諦めてしまいました(笑) でも大学1年の終わりごろ、私の高校で非常勤講師をしていた先生と再会したんです。それで、そういえば非常勤講師って15時台に帰れるんだよなと思い出してしまって。不純な動機でしたが、それでもう一度目指すことにしたんです」
しかし、大学2年生からのスタートでは教職過程の単位が足りず、大学4年生まででは教育実習には行けなかった。就職活動の末に秘書の内定はもらっていたものの、教員免許の取得を優先し、辞退。大学院に進み、免許を取ることにした。
それでも、本気で先生を志すことはなかったという。だが、母校での教育実習でようやくそのきっかけに巡り合う。
「私のファンに再会したんです」
石黒さんは中高一貫の女子校を卒業。高校3年生のとき、体育祭で応援団長を務めた。お祭り好きの性格が功を奏し、体育祭は大盛り上がり。すると、中学1年生たちの憧れの的となった。奇遇にも、当時中1だった「石黒ファン」たちが高校3年生になった年、石黒さんは教育実習で母校を訪れ、その高3生たちを受け持つことになったのだ。実習の3週間を経た最後には別れを惜しみ、“教え子”たちに対して情が生まれた。
「私のファンに再会したんです。私たちのこと覚えてますか!ってすぐに懐いてくれました。最後の日には色紙をくれて、さらにお金を募ってスターバックスカードを3000円分も。そのとき、自分が安易な気持ちで実習に来てしまったことを恥じ、それで絶対に先生になろうって思ったんです。こんな私を慕ってくれて、かつ、ここまで純粋に先生になることを応援してくれている子どもたちの思いを無駄にしたくない。それが先生を本気で目指した瞬間です」
無事教員免許を取り、教壇に立って早15年。仕事で大変だったことを問うと、おかしな質問でもされたかのように顔をしかめる。どうやらないらしい。「教師は楽しい。教えている感覚はない」と断言する。生徒と同じ目線で、3年間をともに過ごす。一緒の時間を共有し、困ったことや気づいたことに耳を傾ける。その内容は多種多様だ。それを楽しむのが先生の醍醐味だと、石黒さんは目を細める。
行事を通して、生徒たちの成長を感じられるという。文化祭では「みんな一生懸命考えてる。どうやったらうまくできるかとか、考えているのを見るのが面白い。何かをひとつ作り上げようという姿はとてもいい」。卒業式は「泣いちゃう。3年間は本当に早い。お別れで泣くんじゃなくて、あっという間に成長したなって感慨深くなる。あんなチンチクリンだった子たちが卒業していくんだなって」。巣立った後も教え子たちとの交流は変わらない。「卒業して大人になった生徒たちと遊べるのは嬉しいですよね。どんどん友達が増えていく」。
子どもの小さな発信に耳を傾けたい
石黒さんがもともと持っていた夢は、音楽の先生になることだった。
「高校生のとき、本当は音楽の先生になりたくて、音大に行きたかったんです。けど、担任の先生に『どうやって食べていくつもりだ?』と言われてしまった。そのときは全然反論できなくて、すぐ諦めてしまったんです。頭ごなしに生徒の夢を潰すんじゃなくて、打開策を一緒に考えてほしかった。私は教師として、生徒たちの色んな道を支えられるようになりたいんです」
いま、石黒さんの教え子のひとりが、ハンガリーにいる。その学生は高校時代、海外の大学の医学部を目指していた。最初はほかの先生に相談したのだが、入学試験が難しい日本の大学を避ける目的と揶揄されてしまったという。その後、石黒さんがワーキングホリデーで一年間を海外で過ごした経験があることを知っていたその生徒から、悩みを打ち明けられた。石黒さんは知り合いのハンガリー人の弁護士を紹介し、「話は通してあるから訪ねなさい」と背中を押した。
進路、恋愛、いじめなどの悩みを抱える多感な学生たち。石黒さんは、教師の使命について「彼らの話を聞くこと」と端的に答える。
「いじめの事件が起きると、記者会見で先生は知らなかったと言うけど、いじめは生徒を見ていればわかる。生徒の小さな発信に耳を傾けること。あれ今日は顔色悪いな、とか、今日なんかあったのかな、とかを気づいてあげる仕事なんだと思う。気づいたら、そのときに話しかけてあげないと。すぐにやらないと彼らの気持ちがどんどん腐ってしまい、手遅れになってしまう。いじめにかぎらず、自己肯定感を守らないといけない」
ひさびさ、先生に怒られた
人生を歩むにつれ、結婚などプライベートでの変化も生まれた。それでも変わらず、ずっと生徒の声に耳を傾けていきたいという。「上から目線にはならないようにしたい。それだけです。だから、間違っていたら生徒にもよく謝っています(笑)」。
長時間にわたり、たくさんの質問に答えてくれた石黒先生。最後に“伸びる生徒の特長”を聞くと「みんな伸びるんですよ!今の自分よりステップアップしようとしている時点で、伸びない子はいない。みんな伸びているんです」とたしなめられてしまった。いつだって、どんな生徒の背中も押してくれる。そんな石黒先生の、暖かい“お説教”を受けた。
(編集:中村洋太)