「ブルーピリオド」は“好き”な気持ちの教則本

ヴィーナスの誕生
ヴィーナスの誕生
ヴィーナスの誕生 出典:Wikipedia

「ヴィーナスの誕生」を描いた“ボッティチェッリ”って、どことなく卑猥な響きだよな。

目の前のPCモニターには白紙の原稿が開かれている。気に入った文章が書けず、もう小一時間は書いては消してを繰り返している。頭を抱えながらも思考を巡らせていたら、なぜだかボッティチェッリに辿り着いた。

どうして急にボッティチェッリが浮かんだのだろう。スピーカーからはYOASOBIの「群青」が流れていることにふと気づく。ああそうか……僕は本棚の「ブルーピリオド」に手を伸ばした。

書くのが好きなはずなのに、筆がのらないと全く楽しくない。そもそも本当に好きなのか、なぜ文章を書いているのか、どうしたいのか自分でもわからなくなる。

そんな葛藤が渦巻くとき、僕は「ブルーピリオド」を読んで気持ちを落ち着かせる。

ブルーピリオド
漫画「ブルーピリオド」 出典:Amazon

僕がブルーピリオドをはじめて手に取ったとき、「不良が美術する漫画」というざっくりとした前知識を持っていたので「不良が美術?授業中にも関わらず、英語の教科書にしこしこと落書きする話かな」と想像したが読んでみると全然違った。

ブルーピリオドを一言で表すと「美術のスポ根漫画」だ。主人公は不良高校生の八虎(ヤトラ)。高校生にも関わらず、スポーツバーで朝までタバコと酒を嗜み、〆のラーメンまで美味しそうに食べるド不良だが、成績優秀で人当たりがよく、不良仲間以外のクラスメイトに対しても気さくに接する所謂“優等生”でもある。八虎自身は器用に世渡りできていると思っているが、どことなく薄っぺらい印象を読者に与えてくる。

そんな中、美術の時間に描いた絵が褒められたことをきっかけに、美術の世界に入ることを決意する。真剣に向き合えるものを見つけた八虎は時に心の底からの喜びを感じたり、時に自分の絵に絶望を覚えながらも美術にどっぷりとのめり込んでいく。

……そこには教科書に落書きする不良の姿などなく、真剣に美術に取り組む青年だけが描かれていた。英語の教科書に落書きし、ジェニファーを巨乳にしたのも僕にとっては青春なのだが、ブルーピリオドでは何枚にも重なる青春の1ページが丁寧に描写されていた。美術といえばオランピアをはじめとする裸婦の絵しか思い浮かばない僕に、美術とは何か、好きとは何かを教えてくれる話だった。

オランピア
オランピア 出典:Wikipedia

ブルーピリオドを読み進めていくうちに、僕は「自分が感じる“好き”という気持ちに真剣に向き合うこと」の素晴らしさを俯瞰しながら整理した。

僕らは人それぞれ“好き”なことに向き合って生活している。絵を描くことだったり、スポーツだったり、仕事だったり、その人にとっての好きなことがあるだろう。その”好き”という気持ちに対して全身全霊をぶつけたいのだが、そこには多くの苦悩が存在する。

僕は文章を書くのが好きだ。もしかしたら文豪の霊が背後に憑いているのかもしれない、いや、この場合は呪われていると表現した方が適切だろう。

中学生の頃、ネットサーフィンをしていたら腹がよじれるほど面白い文章を読んだことがこの道に入ったきっかけだ。自分でも書いてみたい!頭の中の妄想を曝け出したい!と思ったのがそもそものはじまりだった。

それから実際に書いてみて、それを周りに見せると「面白い」という嬉しい反応を得ることができ、ずぶずぶとのめり込んでいった。次々に書いては周りに見せ、評価をもらった。それがなによりも楽しくて「人より文章が上手」をアイデンティティに過ごした。

もっと多くの評価を得たい。そう思い活動の幅を広げてみたが、眼前に広がったのは自分が書いたものより面白い文章ばかりだった。僕が文章に向き合えば向き合うほど、他人の文章の良さがわかり、自分には才能なんて全くないと打ちひしがれた。

書こうとしても思うように書けなかったり、自信作が評価されなかったりすると、なんで文章を書いているんだろうとふと疑問に思うことがある。“好き”なことに向かうことが楽しくて仕方がなかったのに、“好き”の気持ちに向かいすぎると精神がボロボロになる。いっそのこと筆をおいた方が楽になれるのかもしれないと思うこともある。

それでも最初に抱いた確かな気持ちを思い出し、また向き合ってしまう。

やはり僕は呪われている。実体の伴わない“好き”という名の亡霊の呪いにかかっている。僕だけじゃない、何かが好きだという人にもこの呪いは平等に降り注いでいるのだ。

ブルーピリオドではこういった感情や心理が、痛々しいほど緻密に表現されている。主人公の八虎も、描いた絵の評価に一喜一憂する。好きで踏み込んだはずの絵の世界なのに、ぼろ雑巾のような精神状態になることも珍しくない。

「好きなことをやるっていつでも楽しいって意味じゃないよ」

作中で八虎が零すセリフだ。このセリフは僕の心に深く突き刺さった。そうだ、全てが全て楽しいわけじゃない。全く評価されなかったり、思うようにいかなかったり、真剣になればなるほど大きな壁が何度も目の前に現れる。

当然、八虎の前にも壁はそそり立つ。例えば、八虎が美大入試のために予備校に通い出したとき、同じく美大を目指す人の絵を見て、自分の技術や絵に対する意識の低さに愕然とする描写がある。特に、同い年の天才が描いた絵を見たときには、無音の絶叫が八虎の中で響くほどの衝撃を受けてしまう。

しかし、現実から目を背けずに、壁を乗り越えることだけを馬鹿みたいに考え、ひたすらに描き続けることで、ついにはその天才から嫉妬されるほどの作品を描けるようになる。ライバルであり天才と認めた人に、自分を認めさせることが出来たと思った八虎は、自身の成長を実感でき落涙する。

好きという気持ちはいくつもの試練を課すが、それ以上にどんな快楽にも勝るほどの甘美な感動を与えてくれる。だからこそまた向き合っていける。

ブルーピリオドは好きな気持ちに対する熱い情熱を心の奥底から掬いだし、僕らを勇気づけるのだ。

ちなみに僕は美術の知識が全くない。ボッティチェッリが卑猥っぽく聞こえてしまう感性しか備えていない。ヴィーナスの誕生を見ても「きれいな身体にすべすべなお肌、あとパイオツがいい」としか思えない。

そんな下賤な僕だが、この漫画では絵の描き方や美術的な知識も描かれているので、なんだか自分が美術のわかる高遠な人間になったような気になる。なんなら高尚な文章を書けるんじゃね?という錯覚にも陥る。

読後の今ならきっととてもお上品な言葉遣いで絵を語れるに違いない。そう思い、改めてヴィーナスの誕生を見ても「心に充足感を与える豊満な体躯、喉の乾きがうるおうほどに豊潤な素肌、そして触れたものすべてを心理に導く豊穣な乳房、うーむ……実にエロティシズムだ」という下卑た感想しか持てず、相変わらず高尚とは程遠い自分が存在するだけだった。

ブルーピリオドを読んだところで急に上手く取り組めるようになるわけではないが、それでも好きなことに対する情熱は思い出せた。これで明日も自分を信じることができる。

リピートされたYOASOBIの群青を聴きながら、僕はまた筆をとり真っ白な原稿に向かった。馬鹿みたいに何度だって書いてやる。

(編集:岡井モノ)