3軍の大学生からオーストラリアでセミプロへ。小久保武蔵のサッカーライフ

小久保武蔵

子どもの頃には「将来は◯◯になりたい」「大好きな◯◯を仕事にしたい」と思っていても、大人になると現実の厳しさに直面するものだ。周囲の目も気になる。そして社会のレールに沿って、なんとなく就活し、社会人になる。「本当はこういうことがしたかった」と悩みながらも、生活のためには働かないといけない。

そんな悶々とした思いで日々を生きている若手社会人も少なくないのではないだろうか。筆者もそのひとりだからこそ、オーストラリアで好きなことに没頭する小久保武蔵さんの生き方には心惹かれるものがある。

大学時代はサッカー選手として目立つ存在でもなければ、英語力も皆無だった。それでも彼は単身オーストラリアに渡り、現在はセミプロリーグで給料をもらいながらサッカーを続けている。いったい小久保さんはどのようにして、異国の地で好きなことを仕事にできたのだろうか。

とりあえず海外に行きたくて、就職は選択肢になかった

大学卒業後、オーストラリアに渡ることを決意した小久保さん。その理由について、彼はこう振り返る。

「大学3年の半ばあたりから、卒業後は海外に行きたいと考えていました。でも最初はサッカーが目的ではなく、なんとなく留学したいなくらいの感じだったんです。留学したい気持ちを持ったまま仮に就職したら、きっとこの先チャレンジできないと思って就活はしませんでした。オーストラリアに決めたのは、ワーキングホリーでのビザが取得しやすいからという理由でした。現地でもサッカーをしようと思ったのは大学を卒業する頃です。4年間を振り返ると、どこかで自分の限界を作り中途半端に努力していた気がします。私がいた東京国際大学サッカー部には12軍まであって、3軍のセンターバックでプレーしていました。1軍になるのはほど遠かったですね。でも身長は190cmあったし、本気で頑張ったら逆に海外でプレーする方が化けるんじゃないかと思えてきたんです。環境が変われば評価基準も変わるかもしれない。卒業する時期になって、再びサッカー選手としての可能性を感じるようになっていました」

2016年5月、大学を卒業した小久保さんは、約60万円の貯金を頼りに、なんのつてもないままオーストラリアのシドニーへと渡った。しかし肝心の英語に関してはほとんど何も勉強をしていなかったそうだ。

「現地に着いてから、勉強しなかったことを本当に後悔しました。言いたいことが言えない、書けない、聴き取れない。甘く見過ぎていましたね」

少々無鉄砲な印象も受けるが、できない理由を探すのではなく、とにかく行動することで道を拓こうとする、そんな小久保さんの姿勢には大きな刺激を受ける。その後、自力でシェアハウスを見つけ生活の拠点を確保した。最初の1ヶ月間はチーム探しと自主トレーニングの日々を過ごしたという。

なんとか聞き取れたのは3つの単語。come、Tuesday、7:00 PM

そんなある日、ネットでたまたま近くのサッカーチームを発見する。さっそく試合観戦に出かけると、彼はそこで大胆な行動にでた。

「監督らしき人を見つけて、試合が終わったタイミングでめちゃくちゃな英語で『このチームでプレーしたい!』と伝えたんです。そしたら、早口で全然わからなかったけど何か言ってくれて、come、Tuesday、7:00PMという単語だけはかろうじて聞き取れた。だから火曜の夜7時にまたグラウンドへ行ったんです。そしたら練習に参加させてもらうことができた。たぶん背が高いからOKしてくれたんだと思います」

オーストラリアのサッカーリーグは、トップリーグに日本のJリーグに当たるAリーグがある。その下は各州ごとにNPL(ナショナルプレミアリーグ)があり、1部から4部までで構成されている。そして外国籍選手の登録は2人まで。すなわち小久保さんは、外国人枠の2枠を争わなければならない。練習に参加すると、すぐにチームの監督が変わったそうだ。そして幸運なことに新しい監督に気に入られ、シーズン途中ではあったが正式にこの3部のチームへ入団することに成功した。しかし彼はこれに甘んじることなく、次のステップアップを目指して行動したという。

「1年目のシーズンが終わり、来季に向けてもっと高いレベルを目指そうといろいろなチームのトライアルを受けました。その中で2部から3部に降格したチームのトライアルに参加したところ、ダメで元々くらいのリラックスした状態で挑んだからか、良いプレーができたんですよね。80人が参加し、最終的に合格したのは自分ともう1人だけでした」

この狭き門を突破し、早くも2年目にしてセミプロ契約を勝ち取る。サッカー選手として、わずかではあるが給料をもうことにも成功した。このチームでは昇格こそ逃したが、2年目のシーズンは前半戦はセンターバックで、後半戦はこれまで経験のなかったボランチでほぼ全試合に出場した。その後も3年目は3部、4〜6年目は2部でプレーするなど着実にステップアップ。直近の目標は1部でプレーすることだという。

小久保武蔵
3年目には3部リーグで優勝。後列左から5番目が小久保さん

オーストラリアでも活きた最大の武器

大学時代は3軍ですらレギュラーが確約されていなかった小久保さんだが、オーストラリアのセミプロリーグでは貴重な外国人助っ人として契約を勝ち取ることに成功。その要因はいったい何だったのか。本人はこう分析する。

「こんな自分でも、オーストラリアではサッカーの技術があると評価されている点が要因のひとつです。こっちは日本と比べると技術よりもフィジカル任せな傾向が強く、はじめて試合を観た時はタックルばかりで『ラグビーかよ!』って思ったくらいですから。もうひとつは、やはり自分の最大の武器である190㎝の長身がこっちでも活きていることです。背が高い選手は日本に比べて多いですが、ヘディングの技術は日本人ほど高くない印象です。相手より先にジャンプする技術があればヘディングで勝つこともできますし、そこは通用している自信があります。もちろんオーストラリアに来るまでは実際に通用するともわかりませんでした」

小久保さんがオーストラリアへ渡る前に感じていた「環境が変われば評価基準が変わり、チャンスがあるかもしれない」という考えがまさに的中したのだ。本人曰く「スピードが飛び抜けて速い」「身長が高い」などわかりやすい特徴の選手の方が評価されやすく、日本人に多い「パス回しを得意とする全てが平均的な選手」はあまり好まれない傾向にあるそうだ。

屈強な外国人選手と競り合う小久保さん

「自分は運がいい」と思えるようになった

日本にいれば家族も友人もいて、働いていれば普通に生活はできる。しかし、言葉も通じず、何もかもわからない異国の地ではそうはいかない。極端な話、生きることで精一杯の状況だ。そんな環境に身を置いて変化があったという。

「マインドが大きく変わりましたね。日本にいた時よりポジティブだし運がいいと思えるようになりました。きっと好きなことをやれているからだと思います。やらなきゃいけない状況だからとにかく行動していたら、ラッキーなことに出会える回数が増えました。安定していないからこそ、自分で何かを始めてチャレンジすることが必要で、今はそれが楽しいです」

そう話す彼の表情はいきいきとしていた。今では学生ビザに切り替え、サッカーをする傍ら現地のビジネス専門学校に通いマーケティングの勉強もしているという。3つの単語しか聞き取れなったあの日からは想像もできない成長ぶりである。

社員という概念がない

最後に、仕事や就活に悩む人、海外に興味がある人に何を伝えたいか聞いてみた。

「今はコロナで厳しいけど、旅行でも留学でも一度は絶対に海外に行った方がいいと思います。国の違いで生活も仕事の感覚も違うし、そういった文化の違いを感じられるから変な思い込みがなくなります。就職しなきゃいけない、大学に行かなきゃいけない。そんな決まりはないし、選択肢はもっとたくさんある。こっちには社員という概念はそんなにないんです。フルタイムかパートかカジュアルかの違いだけ。それに若い人ほど仕事はよく変える印象があります」

オーストラリアに来る前の小久保さんは、大学サッカー部の3軍に所属し、そこでもレギュラーではなかった。英語も書けない、話せない、聞き取れない。どこにでもいる日本の若者だった。そんな彼が、現在オーストラリアで給料をもらいながらサッカーをし、ビジネス専門学校で学び、焼肉屋でアルバイトもできるまでに成長した。日本での彼を知る人間にこの姿が想像できただろうか。特別なキャリアや肩書きなんていらない。今をどう生きるか。彼の経験を知ると、今この瞬間の行動こそが未来の自分を作りあげると感じずにはいられない。

「時間はかかるし簡単ではないけど、永住権を取得したいです」

最後に語った彼の言葉に、強い想いを感じた。

(編集:中村洋太)