猫背を直そうとした結果、投票に向かっていた話

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どうしても布団の中から出たくない。このまま気が済むまで眠り続けていたい。
子どものころ、そう思うことがよくあった。たいてい日曜の朝にこのような怠け者に成り下がるのだけれど、原因はおそらく親から命じられた習い事にあったと思う。そしてそれは、いつの間にか私の投票への姿勢にも影響していた。

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■暗黒の日曜日

私は10歳当時のおよそ1年間、近所の剣道教室に通っていたことがある。小さいころからひどい猫背だった私は、しばしば父から「ちゃんとせい!」と背中をひっぱたかれていた。しかし、何度しつけても直らない私の姿勢を見て、こいつの猫背は筋金入りであると思ったのか、父がある時「剣道教室に通え」と厳命してきたのだ。武道を叩き込めば美しい姿勢になると目論んだらしい。

しかし、父の目論見ははっきり言っていい迷惑だった。日曜の朝9時、小学校の体育館を借りて行う剣道教室は生徒が3~4人ほどの閑散としたもので、薄暗い水銀灯の下でカビ臭い匂いに包まれながら足さばきや素振りをひたすら繰り返す稽古には、なんとも憂鬱な雰囲気が漂っていたのを覚えている。

今となっては真面目に続けていればよかったと悔やんでいるけれども、当時の私にとってはひたすら退屈な時間でしかなかった。ただ、親の言いつけには従う子どもだったので、薄暗くてカビ臭い体育館へとしぶしぶ通い続けた。

そんな私の心に光を与えてくれたのが、選挙の投票日だった。小学校の体育館は投票会場でもあったので、投票日は剣道教室が休みになったのだ。なんの選挙だったか覚えていないけれど、うっかり投票日なのを忘れて、晴れない気持ちを抱えながら体育館へ向かったときのこと。何やらいつもと違う雰囲気を感じ、窓から体育館の様子をのぞいてみると、所狭しと投票箱や記入台が並んでいるのが見えた。あの時の安堵感は忘れられない。

銀色の投票箱がカーテンの隙間から差し込んだ陽の光に照らされる姿は、神々しさすら感じられた。幼い私にとって、投票日とは暗黒の日曜に光を与えてくれる特別な日だったのだ。

■テレビの向こうは虚構

そんな経験があるだけに、大人になったら欠かさず投票に行ってこの暗闇から救ってくれた恩を返そうと考えていた。

しかし、そんな思いとは裏腹に、私が選挙権を得るまでの10年間で恩返しの気持ちはだんだん失われていく。テレビの向こうで行われる政治模様は見れば見るほど他人事に感じられたし、学校の授業で学んだ公民の知識は制度や法律の話ばかりでリアリティがなかった。社会や教育が悪いと転嫁するつもりはないけれど、そんな積み重ねでいつしか私は世の中の課題に真っすぐ向き合うことをやめて、背を丸めて目を伏せるようになり、政治に無関心な若者になっていた。

一応、権利がある以上投票には毎回行くし、用事があるときは期日前投票を利用する。ただ、ひどく消極的に参加していた。投票はせっかくの休みに重たい腰を上げて向かう行事で、かつての剣道教室のようになっていた。

投票のイメージ画像

■意外にも外は明るかった

そんな風に、のらりくらりした政治参加を10年以上続け、すっかり30代半ばの私だが、考えが変わる出来事がごく最近あった。2020年11月、大阪市で「大阪市廃止・特別区設置住民投票」、いわゆる「大阪都構想」の住民投票があったのだ(ちなみに2015年に続く2度目の住民投票だった)。昨年の出来事なので、覚えている人も多いだろう。

当時は勤め先の関係で兵庫県の伊丹市に住んでいたが、ちょうど住民投票の翌月には大阪へ引っ越す予定だった。そんな状況にあって、住民投票に関する報道を目にする度になぜ自分は参加できないのかと、焦燥感と寂しさが入り混じった複雑な思いを抱いていた。実のところ、引っ越し先は府内であっても大阪市の隣なので、引っ越すスケジュールが前倒しになったところでどのみち投票権はなかった。けれども、大阪出身である私は、生まれてから社会に出るまで過ごした街の未来を左右する意思表示ができない現実に、耐え難い歯がゆさを感じていた。

一方で、ふと疑問に思うこともあった。今まで政治に無関心を決め込んでいた自分のどこにこんな熱量が潜んでいたのか。いろいろ考えてみたけれど、やはり一番大きな理由は当時の住民投票が他人事ではなく「自分事」だったからだと思う。テレビの向こうの政治には何のリアリティを感じなくても、愛する大阪の未来に関わることならば、投票によって自分の意思を示す必要があると思ったのだろう。

また、住民投票の結果が極めて僅差だったことも影響したのかもしれない。本当にわずかな出来事で結果が変わっていてもおかしくない大接戦だったのだ。この場でどちらの結論が正しかったと語るつもりはないけれど、そんな拮抗した戦いを目の当たりにした結果、もしかしたら自分の一票にもわずかながら意味があるのかもしれないと思えた。水滴がやがて石を穿つことだってあるのだ。

そう思うと、歯がゆい気持ちが怠ける自分を動かすエネルギーへと段々変わっていくのを感じた。子どものころ薄暗い体育館で見た、投票箱を照らす陽の光を思い出し、自分の心にも少しだけ希望が差し込んできた経験だった。

■誰だって、言ってやりたいことの一つや二つ

そういう思いを自覚してからは現金なもので、生活に直結する税金が増えるかもしれないとか、非正規の働き方はこの先どうなるのかとか、いろいろ調べるようになった。4月にフリーライターとして独立してからは特に、心許ない生活基盤の上に暮らしが成り立っているので、これらのトピックスは極めて重大な「自分事」である。せめて自分に深く関わる出来事に対しては、胸を張り、背筋を伸ばして意思を示せるようにありたい。

自分事に向き合って結論を示すことができる機会だからこそ、私は投票へ行くのだと思う。そして自分の一票にもちゃんと意味があると信じて、私は10月31日に投票所へ向かう。

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▲ PR  TIMES 『選挙をもっと身近に。一般社団法人 GO VOTE JAPAN設立のお知らせ 』より画像引用