先日、ライティング講座「ぶんしょう舎シーズン3」で、patoさんが講師として登壇した。patoさんは2000年代前半に一世を風靡した伝説のテキストサイト「Numeri」の管理人である。彼は講座で、こう主張していた。
「文章を書くことは、自分自身をえぐりとって世界に出す『小出しな死』ではないか」
私は彼の主張に深く納得した。なぜなら私は、「ひとりの人間が自分をえぐりとって世界に出した文章は、図らずも同じような問題を抱える他人を救うことが往々にしてあるのではないか」というひとつの仮説を持っているからだ。
この仮説は、ヴィクトール・フランクルのロングセラーである「夜と霧」によって、私自身が救われた経験から生まれたものである。
目次
父の死に直面したときに出会った「夜と霧」
昨年の夏に私の父が急死した。親が自分より先に死ぬことは自然の摂理である。このことを理解していたつもりだった。
しかし私は父の死に直面して動揺し、呆然とした。そして、一歩も動くことができなくなった。頭では理解していたつもりでも、実際に自分がその場面に身を置くと、体が思うように動かない。このときほど、それを強く実感したことはない。
そして、父に対して取ってきた行動のすべてを後悔した。小学校2年生のときに外で父と手を繋ぐことが恥ずかしくて、差し伸べられた手から目を逸らしたことや、高校2年生の冬に軽トラで学校まで送っていってもらうことが嫌でそっけなくしていたこと。
父にありがとうと言えなかった場面や、向き合うことから逃げた場面、そのすべてが思い出された。「親孝行したいときに親はなし」なんて使い古されて擦り切れた言葉は、どうしようもなく真実であった。私は後悔から逃げるように大量の本を読んだ。そのときに見つけたのが「夜と霧」だった。
「夜と霧」を読んで分かった“死との向き合い方”
「夜と霧」は心理学者であるヴィクトール・フランクルがナチスの強制収容所に囚われていた日々を記した体験記である。著者自身も含め、人間の尊厳を踏みにじられ、肉体的にも凄惨な虐待を受けた人間の心理的な変化が静謐な文章で綴られている。
一見すると救いがないように思えるが、絶望の果てで著者が見出した人間の強さと人生への向き合い方は、現代の私たちにとっても生きるうえで参考になる。
「夜と霧」に、こんなシーンがある。
“わたしはときおり空を仰いだ。星の輝きが薄れ、分厚い黒雲の向こうに朝焼けが始まっていた。今この瞬間、わたしの心はある人の面影に占められていた。精神がこれほどいきいきと面影を想像するとは、以前のごくまっとうな生活では思いもよらなかった。わたしは妻と語っているような気がした。妻が答えるのが聞こえ、微笑むのが見えた。まなざしでうながし、励ますのが見えた。妻がここにいようがいまいが、その微笑みは、たった今昇ってきた太陽よりも明るくわたしを照らした。
〜中略〜
そのとき、ある思いがわたしを貫いた。何人もの思想家がその生涯の果てにたどり着いた真実、何人もの詩人がうたいあげた真実が、生まれてはじめて骨身にしみたのだ。愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。
〜中略〜
愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在、つまり(哲学者のいう)「本質」に深くかかわっている、ということを。愛する妻の「現存」、わたしとともにあること、肉体が存在すること、生きてあることは、まったく問題の外なのだ。”
このシーンでは、著者が強制収容所で課せられる重労働のさなか、もう生きているのかも分からない妻に対する深い愛に気付いた様子が描かれている。
私はこのシーンで登場する「本質」と「現存」の概念、著者の経験に触れながら、記憶の中の父の言葉や思い出を反芻した。
たとえ隣にいなくても、確かに私の中に父は存在している。これからも事あるごとにこうやって父と対話をするのだろうと思った。私が変われば、記憶の中の父との思い出も変化する。今は理解できないことも、理解できる日が来るかもしれない。
故人に対して、「何もしてあげられなかった」という後悔。これは結局残された側のエゴなのではないかと思う。渡したものが愛なのか憎悪なのか、なんの意味も持たないものなのかを決めるのはいつだって受け取り手である。それならば私は、私の中に存在する父とこれからも向き合いたい。
そう思えるようになったことで、父の死に直面して一歩も動けなくなっていた私は、再び歩き始めることができた。
私の文章が誰かを救うことになるかもしれない
「身近な人が死ぬ」という避けることのできない辛い運命に直面したとき、どう対峙するかを知っていることは、自分がこれからも生きていくため役に立つ。
「夜と霧」には愛する人との死別だけではなく、人生において悲しみや困難に陥ったときのヒントが数多く書かれている。すべての人の人生には信じられないくらい理不尽なことや悲しいことが必ず起こる。これは仕方ないことだ。
そんなときに、ヴィクトール・フランクルが自身の半身をえぐり取って書いた「夜と霧」は、多くの人にとって銃弾から心臓を守ってくれるペンダントや、傷が癒えるまでの痛みを消す麻酔になると思う。それは、私自身が身をもって実感している。そして今度は私が、ヴィクトール・フランクルのように自分の身をえぐり取ってでも文章を書きたい。
patoさんはぶんしょう舎の講義で、こんなことも言っていた。
「『文章を書く』行為はフロイト心理学のデストルドーに基づく「ちょっと死にたい欲求」の発露だ。ここでいう死は「世界との境界をなくす」つまり「世界に溶けていく」ことを指している。
文章を書く行為が私の欲求の結果であるとしても、自分自身をえぐりとって世界に出すのは痛い。「こんなことをして、一体なんになるというのか」。そう思うこともあるだろう。
それでも私は、文章を書いていきたい。もしかしたら、自分の身を削って書いた私の文章が、名前も知らない、私と同じような経験をしている誰かを救えるかもしれないから。
(編集:新妻翔)